鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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■前川公秀「間部時雄の京都時代」『間部時雄と京都の仲間たち』(展図録)2004年、府中市美術■岡部昌幸「(展覧会から)間部時雄展─隠された水彩画 間部時雄と牧野克次」『三彩(通巻■拙稿「間部時雄という人」『間部時雄と京都の仲間たち』(展図録)2004年、府中市美術館■<霜鳥之彦(正三郎)>■<加藤源之助>■平成16年7月に調査を依頼し、某氏よりご指摘をいただき、当初の写真を同年8月に確認させ―353―館504)』三彩社、平成元年(1989)9月をよくし、油彩、エッチングに作品を残す。晩年は古美術・古陶器の研究著述に専心する。昭和43年(1968)東京荻窪で没す。明治17年(1884)東京に生まれる。本名は正三郎。東京府立第一小学校を卒業後、1902年浅井忠を慕い京都高等工芸学校に進む。間部の同級生で第一回卒業生であった。1906年から牧野克次と渡米し1920年までアメリカ自然博物館の技術員として就職。帰国後は、京都高等工芸学校に講師となる。1921年に同校の教授となった。またフランスに留学し、1958年まで京都学芸大学教授も務めた。明治13年(1880)京都生まれ。伊藤快彦の「鐘美館」に学び、明治36年(1903)に聖護院洋画研究所に入る。関西美術会展、文展(第1回)で入賞するも、家業を継ぎ一線を退く。ていただいた。

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