発掘報告書に見る資料U斗〔図4、5〕は、全長30cm前後で、樋形の注口が口縁に付き3足と長い柄の付いた器で温酒器と考えられている。足の長さ、容器部分の深さ、柄の末端の作りな―356―けが困難である。また、どのような溶化材(鑞)を用いているかを含め、南北朝時代での鑞付けの技術そのものが、明らかになっていない。しかし、響銅二連灯(和泉市久保惣記念美術館所蔵)〔図1〕の四脚部と柱基部円形盤との接合のような、明らかに別に鋳造したものを接合している例があり〔図2〕、この技法が南北朝時代には広まっていたことは間違いない。・弦文、刻線装飾 響銅器が漢時代までの青銅器と大きく異なるのは、鋳型から文様を作り出している作品がほとんどないという点である。商周時代の獣形文様のような、型に細かな文様を彫り込んで鋳造品を作り上げるという技法は用いられず、南北朝時代の青銅器はほとんどが無文である。唯一、装飾といえるのが同心円状の弦文で各種の器に施されている。幅1mm未満の凹線や、幅1mm前後の凸線が轆轤削りで、器の口縁、側面、底面などに施される〔図3〕。文様というにはあまりに簡素な装飾であり、そこに辟邪や吉祥などの意味を伴った文様として見て取ることは難しい。技術的に装飾を施すことが可能であったことは、数は少ないが刻線で図像を描いた作品の存在からわかるがごくわずかであり(注5)、日常器から儀式用具までを含めて、人々の暮らしの中での響銅器の用いられ方や、当時の人々の装飾に対する意識の表れと受け取るべきかと思われる。3 報告書から見て取れる時代特徴、出土資料の調査南北朝時代の墳墓を主とした遺跡からの、響銅特有の技術を用いて作られたと思われる器の出土例を見てみたい。『文物』『考古』『考古学報』での発掘報告に取り上げられている資料について、図版で報告されている資料を中心にまとめてみた。どに地域や時代で違いがある。本稿での響銅の定義は轆轤整形が施されている点が肝心であるが、U斗については足と柄を一回の鋳造で作り轆轤仕上げが行われていない可能性もある。熨斗〔図6〕は今でいうアイロンで、火を入れる浅めの容器部分に柄が付く。全長30cm前後に作られる。柄と容器部分を別に鋳造し、鑞付けをするならば容器部分は轆轤をかけることができるが、発掘報告からはこの点の見極めはできない。洗〔図13〕は漢時代から引き続き作られた手洗いなどに用いられる水受けの盤で、口径30cm程度、斜め上方に折れ上がった縁を備える。この器は内底面に凸線で双魚
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