鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―358―(注7)。また、足上端の身との接合部分に、整形が及んでいないざらついた状態が見青銅長柄勺 南京西善橋出土。柄部と勺部とは別作りし、かしめで接合されている。勺部は樋状の注口がつき、口縁の外周には幅2mm程の凸帯が作られている。底面は曲面で仕上げられている。勺部の胎は薄く作られていると思われ、鍛造による製作の可能性が考えられる。青銅燭台 南京西善橋出土。蝋燭もしくは灯心を通すための鐶2個が柱に取り付けられているが、柱との接合方法ははっきりしない。柱は八角柱で、柱底部に備わるほぞを盤に差し込んで接合している。盤は鍔状の縁のある浅い形態で、外底面には3個の突起状の足がついている。鍔状の縁のあるこの盤の形は漢時代から作られている形式である。青銅三枝灯台〔図15〕東晋。出土地不明(注6)。高68.0cm。油と灯心を用いる灯台で、柱の上端と柱の左右に1個ずつ、あわせて3個の灯明皿が備わる。柱の下端は大型の盤に取り付けられている。盤には3本の足が備わる。3個の灯明皿は、口縁の反りの形や薄作りの特徴から響銅の技術が用いられていると思われる。一方、左右の灯明皿を支える蔓状の枝の形は、機能性が目立つ南北朝時代の日常生活具の青銅器の中では珍しい。基部の盤は西善橋出土の燭台基部の盤と異なり、角張った側面の作りをせず湾曲によって外周を仕上げている。また、3本の足は、南北朝時代に多い蹄形ではなく、外に向かってJ字状に曲がる形態になっている。青銅有蓋硯〔図16〕南京黒墨営出土。総高10.7cm。身(硯部)には蹄形の足3本が備わり、甲盛り状の蓋には頂部に鈕と八弁形の鈕座を備える。身も甲盛り状に作られ、外底面は凹曲面状になっている。蓋には中心と外周との中間付近に二重凸線の弦文が1組、そして外周には1本の凸線弦文が施されている。鈕はかしめで蓋に取り付けられており、八弁形鈕座も蓋と接する部分の内側へ巻き込むような形態から、別作りされたものの可能性が高いように思われる。足は溶接で接合していることは、和泉市久保惣記念美術館所蔵品の同形品で足が欠失している作例からほぼ確実であろうられ、溶接時の接合材料の取り残しではないかと思われる。蓋に施された二重凸線はよどみなく細い線で円を形作っており、轆轤を用いた削り出し整形によるものであろう。〈上海博物館所蔵品〉上海博物館の収蔵品は出土品よりも寄贈や学芸員の収集によるものが主であり、今回調査を行った作品も出土地不明の収集品であった。担当者によると第二次大戦後に博物館に入ったものとのことであった。出土地が不明ではあるが、南北朝時代の製作

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