鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―360―うな形で鑞付けがされている。三脚盤と燭台基部とも鑞付けによる接合と思われる。宝珠形盒と三脚盤にははっきりと轆轤削りの痕が残っている。〈南京博物院保管品〉南京博物院では南朝時代の一括出土作品を見ることができた。江蘇省揚州の南朝時代の破壊された墳墓から発見されたもので、40点以上の青銅器が出土したという。その内、U斗、大型の平底有縁の盤、圏足を持つ深さのある碗、圏足のない碗、大型の鉢、高脚盤(高坏)、承盤付き高脚杯、唾壺、熨斗などの10数点を拝見した。これらは南北朝時代の青銅器の特徴を備え、国内の響銅器の資料価値を確実にしてくれる内容でもあり、参考文献3の図31響銅平盤、図24響銅碗、図41響銅走獣唐草文脚杯・承盤とほぼ同形式の作品を見ることができた。金属の色は淡い黄色で、所々に艶を伴った黒色の錆が生じている。無文のものあったが、凹線を刻した弦文が多用されていた。鉢、碗の類は口縁外周がほぼ垂直に立ち上がっているのに対し、口縁の内側に厚みをつけて縁を設ける共通点が見られた。鑞付けによる接合をはっきり示す例として高脚盤があり、円筒形脚がはずれた盤の裏面に鑞付けの痕跡を見ることができた。また、この高脚盤の脚の上端には盤との接地面積を大きくするための内側に直角に折り曲がった縁があり、接着にあたってはこの縁を隠すように円筒形脚の内側上端に円形の青銅板を取り付けて完成させている(注12)。このことは盤と脚がはずれていない高脚盤では、盤底面が脚内と脚外では脚内の方が厚くなっていることで確認できる。4 まとめ南北朝時代は青銅器の資料が比較的乏しい時代で、墳墓の発掘報告を見ると青磁が多数出土しているのに対し、青銅器は数点あるいは皆無という場合がある。しかし、漢時代の影響を残しつつ、三国〜西晋時代に新たな技術による青銅器の製作が始まり、南北朝時代にはこれが主流になっていったことは中国金属工芸史のうえで重要な転換点であったことは見逃せない。今回の調査によって3世紀にはこの変化が始まっていたことが確認できた。ただ、残された課題は多く、銅合金の中で響銅という区分けをするのに必要な成分分析が今回の調査では進めることができなかった。轆轤整形に用いられた当時の工具は不明であるし、鑞付けについても科学的な分析が必要である。本稿を作成するのに当たって、所蔵品の調査をお許しいただいた上海博物館の李朝遠様、姚俊様および当館のスタッフの皆様、南京博物院の王金潮様に心よりお礼を申

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