鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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注参考文献2に中野氏の響銅に関する考察がまとめられている。 参考文献5参照。■参考文献1、186頁参照。■参考文献6参照。断面は別にもう1個所測定されており銅68.69%、錫31.31%となっている。■参考文献3、24頁参照。また、出土例もわずかで、河北省定県で出土した太和5年(481)銘■南京市博物館での表示では南京蒋王廟出土とあるが、『六朝風采』(参考文献4、124頁)では■参考文献3、15頁参照。■本稿で紹介した作品の他にも大変興味深い作品を拝見することができた。ただし、響銅器であっても南北朝時代の製作の可能性がやや低いと思われたため本稿では紹介することを見合わせた。上海博物館の担当者の説明によればこの2本の足先端部の欠失は使用時、意図的に行われたものであるとのことであった。すなわち容器部分を傾けさせ火にかけやすくしたためだという。彩色された青銅器としては、後漢時代の青銅加彩山岳文鼎(和泉市久保惣記念美術館所蔵)な参考文献3、16頁、20頁、18頁参照。南京博物院王金潮氏の調査による。―361―し上げます。また、表面の分析では銅、錫のほかアルミニュウム、ケイ素、鉄が検出されている。の石函に収められたパルメット唐草文を刻した鉢がある。参考文献7参照。収集品としている。どがある。

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