鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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>十八世紀に刊行されたプシュケ神話の挿絵本研究―365―研 究 者:日本大学 ORCポスト・ドクター(博士:芸術学)安 室 可奈子はじめに:先行研究史と問題の所在18世紀フランスで刊行された挿絵本については、1928年、レオーの総合研究があげられる(注1)。個別研究としては、ミッシェルが1987年に執筆した挿絵画家コシャンの作品目録や(注2)、オズボーンが出版史的視点から目録化・分析した挿絵本研究がある(注3)。プシュケ図像研究の分野では、1911年、プティ=ドルシェが、論文「17、18世紀下のプシュケ神話の装飾挿絵」の中で、ラ・フォンテーヌの挿絵本を部分的に詳述している(注4)。以上のような先行研究を補完しつつ、本研究では、18世紀フランスで刊行されたプシュケ神話の挿絵本を総目録化し、それらの挿絵の図像表現、関連画家や版画家、出版業者について具体的な調査を行うことを主要な目的とする。次に、それらのデータから、18世紀末における絵画と挿絵という二つの芸術ジャンルの中で、プシュケ図像がいかに展開してきたのか考察する。Ⅰ.16、17世紀における刊行状況①初版から16世紀まで:ラファエロ派の影響書物として確認される最も初期のプシュケ神話は、1469年、ローマで刊行されたアプレイウスの著作である(注5)。その後、調査の限りにおいて、1488年のヴィチェンツァ版を経て、16世紀中には再刊を含め20の版が西欧で確認できる(資料参照)。うち約四分の一が挿絵本で、報告者が実際に閲覧できた最も古いものとして、ヴェネツィアで1516年に刊行された挿絵がある(注6)〔図1〕。また、同じヴェネツィアで1518年に出版された伊語版にも、32点の木版挿絵がつけられていることが指摘されている(注7)。これらは、いずれも人物表現などに中世芸術の特徴を見ることができる。一方、グラッセが19世紀半ばにまとめた古典文献の書誌によれば(注8)、この物語は1518年、G. ミッシェルによって初めて仏訳された。また、この4年後にミッシェル訳が再刊された時には、木版挿絵がつけられたと記載されており、フランスでも早い時期に挿絵本として出版され始めたことが分かる(注9)。ここでは、1546年のパリ版(注10)、1553年のリヨン版の挿絵を紹介する(注11)〔図2、3〕。1546年版は、M. コクシーの下絵に基づいたA. ヴェネツィアーノらの版

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