鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―366―画を版刻し直した木版挿絵が挿入されている(注12)。また1553年版には、前者と比べるとやや粗い線の木版挿絵が使われているが、それらの構図からは、1546年版と同様の図像的着想源を推測できる。このような事実から、シャンティィ城コンデ美術館が所蔵しているステンドグラス等の装飾芸術と同様に、挿絵芸術もまたルネサンス芸術から大きな影響を受けていたことが確認できる(注13)。②17世紀:わずかな作例とラ・フォンテーヌの登場次に、17世紀における書物としてのプシュケ神話の刊行は、再刊を含め約10版あげられる。そのうち、挿絵本としては1623年と1648年にパリで刊行された二版を確認することができた。この二版はいずれも、1602年にモントリヤールが注釈付きで仏訳したテクストが基本になっており、クリスパン・ド・パ作とされる銅版挿絵の構成もほぼ同じである(注14)。あいにく現物の状態が良くないため、図版の複写依頼が受け入れられなかったのだが、幸いなことに後の1787年に刊行された版において同じ下絵に基づく挿絵が新しく版刻されたのでここで紹介する〔図4〕。物語全体に施された挿絵の総数全8ページ中、プシュケの物語のために2ページあてられている。2ページとも、複数の物語場面がコマ割りのように番号付きで描かれており、初めの挿絵は、プシュケがアモルの宮殿を発見してから、夫に逃げられてしまうまでの7つの情景、次の挿絵は、夫探しの冒険における様々なエピソードを経て、夫と再び結ばれるまでの10の場面が描かれている。〔図4〕の右上部分に見られるプシュケがアモルの宮殿を遠巻きに眺める場面を一例に挙げてみても、1553年のリヨン版でも確認できるように〔図3〕、16世紀半ばから続く図像の系譜に組み入れられることがわかる(注15)。ところで1669年、フランスではラ・フォンテーヌが、アプレイウスの物語を翻案し、『プシュケとアモルの恋物語』を刊行した(注16)。これをきっかけとして、18世紀のフランスでは、ラ・フォンテーヌ版を着想源とした挿絵芸術におけるプシュケ図像が、フランスで独自に展開されることとなる。これについては、次章で詳しく述べることとしたい。Ⅱ.18世紀フランスで刊行されたプシュケ挿絵本1700年代の書物および挿絵本としてのプシュケ物語の刊行状況を概観すると、少なくとも35点の異なる版が出版され、そのうちの19点が挿絵本として出版されたことがわかる(資料参照)。さらに、これらを特徴別に見ると、前期(1700−1744年)と後期(1787−99年)に区分することができる。

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