鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―367―①前期:1700−1744年ラ・フォンテーヌのプシュケ物語が、初版以降、再刊されたのは1700年になってからで、これが初めての挿絵本でもある(注17)。出版地は、オランダのデン・ハーグであった(注18)。プシュケの挿絵は1点で、「眠るアモルを見るプシュケ」の場面が表現されている。この1700年デン・ハーグ版挿絵と構図の点で深い関連性が認められるのが、1708年にパリで刊行された版(注19)に挿入されているトマサン(注20)の挿絵である〔図5〕。この作品も「眠るアモルを見るプシュケ」の情景を描いたもので、天蓋のカーテンの房飾り、壁の薄肉浮彫、プシュケの身振りや着衣の胸元等々、両者には多くの共通点がみとめられる(注21)。なお、1707年にパリの出版業者から刊行されたアプレイウスのプシュケ物語にも3点のトマサンの版画が用いられ、デマレが下絵を担当している(注22)。この中の1点には、やはり「眠るアモルを見るプシュケ」の主題が取り上げられているが、プシュケが寝台によじのぼるようにしてアモルを覗き込んでいる表現は、ルネサンス期からの構図により近い。この後、挿絵本のバリエーションは非常に乏しくなる(注23)。1729年や1744年には、1708年版のように、まったく同じ版が異なる出版業者より刊行されている(注24)。その1744年版の挿絵も、口絵程度にしか入れられていない(注25)。以上のように、1700年からの40数年間で10点の挿絵本が確認されたが、1700年版、1744年版のような複数の出版業者による同版の刊行をそれぞれ1点と数えるならば、実質的には6点の挿絵本しかみとめられないことになる。また、1744年以降は、1758年、1769年、1782年に刊行が確認できるが挿絵は付されず、43年間のプシュケ挿絵本の不在を確認できる。序論でも触れたレオーは、1750−1774年を「18世紀フランス挿絵の黄金期」と位置づけているが(注26)、少なくともプシュケ物語に関してそれは当てはまらなかったと言える。②後期:1787−1799年これに対して、1787年以降のわずか10数年間に、異なった版が9点も刊行されている事実は、挿絵芸術におけるプシュケ神話主題の流行を裏付けている。これには、出版業者とサロン画家たちの共同作業という特有の時代背景があった。しかしながら、この9点のうち、1787年版(注27)と1788年版、1793年版(注28)は、他の6点と区別できるだろう。1787年の挿絵は、本論Ⅰでも触れたように、1623年の下絵をもとに版刻されたものである〔図4〕。ルネサンスの影響を色濃く残すこ

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