鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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注REAU(L.), La gravure d’illustration; La gravure en France au XVIIIe siècle, G. Van Oest, 1928. MICHEL(C.), Charles-Nicolas Cochin et le livre illustré au XVIIIe siècle: avec un catalogue raisonné―369―ところで、ディド家が関与したプシュケ挿絵本は、他にもある。そのひとつが、1791年にピエールの叔父に当たるピエール=フランソワが刊行したもので、シャール(注39)の彩色挿絵4点が使われている〔図11〕。しかし、このシャールの構想は、先に挙げた1700年代初めの挿絵〔図6〕に負うところが大きく、従来の図像伝統を踏襲している。また、この叔父ディドは、1795年に今度はモローの挿絵6点〔図12〕を付したプシュケ物語を新たに刊行した(注40)。モローは、コシャンと並び挿絵専門の画家として頂点を極めた人物で、総計1800点もの作品を残している(注41)。ここであげた図版は、「水中から救い出されるプシュケ」を描いたものである。構図の独創性や人物表現などの精緻さは、ジェラールらサロン画家の挿絵にもけして見劣りしない。実際、この挿絵本はその後、何度も復刊され、1798−99年にパリで刊行された作者不詳の挿絵に影響を与えていることも確認できる(注42)。また、このシャールとモロー挿絵には、先に述べたボレルの挿絵との関連性が指摘できることも付け加えておきたい(注43)。結論以上、18世紀に刊行されたプシュケ神話の挿絵本について、初版以降の出版状況にも触れつつ概観した。本研究の一番大きな成果は、18世紀末のフランス新古典主義絵画の成立と挿絵の出版史的背景との相関関係が明らかになったことである。この事は、16、17世紀の状況と類似しているように一見思われるが、実は大きな違いがある。なぜなら、プシュケ挿絵をみる限り、ルネサンス以降18世紀前半期までの挿絵は、ラファエロ派の連作絵画の構想をほぼ忠実に再現しようとするが、逆に挿絵の方が絵画の視覚的着想源となることはほとんどなかったからである。一方、18世紀末では、出版史におけるピエール・ディドの登場やサロン画家、そして挿絵専門画家の活躍によって、絵画と挿絵の芸術的価値観の差は飛躍的に縮まったと言ってよいだろう。このような変化において、書物は、文学的着想源のみならず、図像的着想源としても、重要な意味を包含するようになったのである。最後に、調査を通じて、重要と思われる数点の挿絵本について閲覧が叶わなかった。今後の課題として継続し、さらに本研究を深めていきたい。

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