―390―ど、細々とした雑草が気まぐれに生えている。画面右側には、細い棒に沿って蔦を伸ばしているカボチャの花と、棒の先まで限りなく蔦を伸ばしている朝顔が見える。彼女の背後を見ると、遠くまで山の峰が連なっており、壊れかけた石垣の隙間から見下ろす丘には、曲りくねった道沿いを、頭に籠をのせて歩く白いチマ・チョゴリの女性が見える。道沿いの左には、畑仕事をしている人が見える。道沿いのさらに向こうには、藁葺きの一軒の家屋があり、その向こうに石塔が見える。家屋の周囲には、コノテガシワがまばらに立っている。曲りくねった道はその先が見えない。山々の向こう側、画面の上には、広い空が見え、画面の左上にはうっすらと三日月が見える。少女が抱いている鶏〔図6〕は、頭の上に立派な鶏冠があり、長く立派な尻尾、強い足を持っていることから、軍鶏(シャモ)のようである。とは言え、幼い少女が、夜明けに、酷く荒れ果てたところで、力の強いシャモを、左手で抱え、右手で羽を押さえて、まるで赤子のように大事に抱いている様子は、何か象徴的な解釈を求めているように思われる。というのも、一方で、シャモを抱いている白いチマ・チョゴリの少女が、どこか異様―呪術的―な雰囲気を漂わせているとともに、他方で、彼女が抱いているシャモが、鶏の中でも、戦う役柄で、男性の、特に戦士のシンボルであったからである。シャモは、植民地当初から、政治風刺イラストをはじめ多くの絵画において、しばしば日本の軍人/軍部/政治家/兵隊を指示するシンボルとして用いられていた。例えば、植民地当初の朝鮮統治を風刺していた東京パックの挿絵〔図7〕(注11)は、「朝鮮の総督政治」という題のもとに、軍服姿のシャモ―赤い立派な鶏冠と尻尾を付けた人間―が、鶏の多くいる小屋に乱入して、鶏を追いかける場面を描き、日本の武断統治を風刺する。他方で、真白いチマ・チョゴリの少女は、「白衣民族の朝鮮」を象徴する。したがって、《鶏を抱く少女》という作品は、白衣の少女=朝鮮が、シャモ=日本の軍部の世話をすることによって、夜明け=繁栄がもたらされるということを意味するように思われる。以上、女性風俗を描く作品は、地方の女性については、「働妻健母」として表象し、都市の女性については、「良妻賢母」―として表象する。具体的には、《暮るトロ路》は、朝鮮女性を、近代化された産業の集団労働を連想させる場に置くことによって、「力強い存在」「健康的な存在」としての側面を強調し、他方で、《機織》は、上流階級の女性に日本製の機織機で作業させることによって、「知的な存在」「勤勉な存在」としての側面を強調する。また、《鶏を抱く少女》は、日本軍部に協力して繁栄をもたらされる朝鮮のイメージを視覚化する。
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