鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
407/535

―398―(注2)。しかし、私見では、これこそ光茂様式を示し、光茂画の特徴が各所に看取さに故実的なことわりを要求されるのは、このような物語や祭礼などの分野であったことも容易に首肯されよう。ここではまずこの種の光茂様式に拠った作例として、二つの源氏物語図屏風を新たに付け加えてみたい。一つは出光美術館所蔵の「源氏物語図屏風」〔図1〕である。右隻に若紫と花宴、左隻に行幸、明石を描く。土佐光成(江戸前期の絵所預)の紙中極書には、筆者を土佐千代とするように、制作は室町末から桃山期にかけてと見られ、源氏の屏風としては古様を示す。これまでは、元信様に則した狩野派作とみなされ、和漢融合的な作風を示すために、元信に嫁いだと云われる土佐千代の名が冠せられたと説かれてきたれると思われる。最も顕著なのは岩の描写である。右隻第四扇目の上下に描かれた流れ出る水流とその岩組の質感を重視した重厚な表現は光茂様である。同じく左隻第一扇目に見える数個の小岩なども、丸い岩を左右前後に重ねて独特の量感を持つ岩塊を構成する光茂特有のもので、輪郭線をとげとげしく幾つも突起させる表現も相通じる。このように見てくると、人物も光茂特有の面長で、長身痩躯の体型である。また右隻第三扇目に見る胡粉で塗られた源氏の独特の容貌は、「明石・浮舟図屏風」(今治市河野美術館)〔図4〕に見られる源氏の容貌に相通じる。これらの理由から、本作は光茂直筆とはとても言えないまでも、周辺の土佐派絵師が想定されてもよいと思われる。この紫上を籬の陰から見上げる源氏と、水流が激しく流れる北山の情景は「若紫」の典型図様として障屏画、画帖を問わず流布しているが、これと同じ図様を踏襲した土佐光起本(福岡市美術館)〔図3〕もあることからすれば、少なくとも光茂以降、歴代の土佐派に伝えられた図様であったのだろう。さて次にはインディアナ大学美術館所蔵の「源氏物語図屏風」〔図2〕を取り上げたい(注3)。本図の筆者は土佐派、狩野派どちらでもなく、現在では民間の工房の作としておく他はないが、江戸初期の源氏絵の佳作として、より注目されてしかるべきものである。右隻の若紫には出光本とそっくりの図様が踏襲されている(上部には室内で思い悩む源氏の様子が付加されている)のだが、背景の水流や岩並などはかなり形式化を見ている。が、これら樹岩の形態や質感表現の表出は前記の光茂様式そのものである。また左隻全面に描かれた浮舟第二扇目に描かれた二人の白丁の面長な気品ある容貌なども光茂画に拠っていることがわかる。さらに縁先に立つ匂宮の胡粉で塗られた独特の容貌は、先に指摘した出光本の源氏の容貌表現や河野美術館本「明石・浮舟図屏風」のそれに通底する。このように見ていくと、左隻の四扇目から六扇

元のページ  ../index.html#407

このブックを見る