鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―400―「日吉山王・祇園祭礼図屏風」などに類似図様が見られる。それにもまして東博本の下、東博本とする)〔図5〕である。私見では、東博本は描法が優れるばかりでなく、平家物語本文に沿って各モチーフに明確な意味を持たせて描出しており、かつ土佐派の描法が最もよく踏襲されていると思われる。この東博本の祖本の筆者として、従来から光茂作と光吉作との二説が挙げられてきた。室町末期の光茂と桃山期の光吉とは明確な様式的相違もあるのだが、確かに東博本には両者の画風の共存が見られる。まずは東博本に両者の特徴を探ってみたい。前記したように、光茂画の特徴として、まず人物の顔は面長で眼をぱっちりと描き、体躯は長身のすっきりとした痩せ形だが、下半身は足をくの字に曲げたややおぼつかない足取りに描く。これらの特徴は東博本中、白丁や樵夫などに明らかに指摘できる。また樹下に御者や馬のたたずむ情景なども、「当麻寺縁起絵巻」や「長谷寺縁起絵巻」各所に見られる馬形の類似は最も説得力に富むもので、とくに第五扇目左の跳ねる馬と御者の組み合わせは「当麻寺縁起絵巻」のそれと一致する〔図10−1・2〕。樹岩についても、漢画と大和絵が融和した光茂独特の表現を踏襲している。樹の幹には短線と彩色を重ねて質感に配慮した表現をし、前記したように岩にも丸い形を左右前後に重ねて独特の岩塊を構成する景観表現では「桑実寺縁起」などで見せた田園風景を上空からなめるように鳥瞰していく描写があり、苫屋が連なる樵夫の集落も光茂の「堅田図」(東京国立博物館)の表現と相似する。また金地金雲構成にしても、切り紙の様なシンプルな金雲を主題を取り囲むように周囲に沸き上がらせる主題集中型の金雲配置は「車争図屏風」や「日吉山王・祇園祭礼図屏風」〔図8〕などに共通して見られるものである。このように東博本の構成、描法、表現は、土佐光茂系統の諸作品に極めて類似しているのである。さらには東博本以外の「大原御幸図屏風」の幾つかにも、面長、長身の光茂様の人物表現が見られることも勘案するならば、畢竟、これら「大原御幸図屏風」の原本は光茂によって創案・制作されたことは確実と思われる。ここで看過できないのは、東博本には光吉様もみてとれることである。それは白丁ら従者の人物の容貌にある。光吉画の大きな特色の一つは顔貌描写にあり、貴紳については気品に溢れた柔和な面持ちをとるのだが、地下の従者となると、やや野卑とも言える個性的な顔立ちに描くのである。光茂と光吉の相違の一つはここにあるのだが、東博本にはこの野卑な光吉様そっくりの容貌表現が目立ち、これが光吉筆者説の有力な根拠になってきたのである〔図11−1・2〕。東博本におけるこの光茂様と光吉様の

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