注つとに吉田友之氏は、光茂の画業には土佐光吉の「御幸・浮舟・関屋図屏風」、狩野山楽の「車争図」、俵屋宗達の「関屋・澪標図屏風」などの大画面絵画の先駆的図樣が窺われる、と説かれている(『日本絵画美術全集五 土佐光信』集英社,1979年)。またここ十数年の主な論考でも安達啓子氏(後掲注■の文献)、宮島新一氏(『土佐光信と土佐派の系譜』至文堂,1986年)、川本桂子氏(後掲注の文献)、安田篤生氏(後掲注■の文献)、山根有三氏(「春日大社蔵競馬図屏風とその類品について」春日文化第2冊,1994年)、榊原悟氏(「資料研究『本朝画史』再考(三)」国華1223号,1997年)などが、この問題について言及されている。 京都国立博物館編『室町時代の狩野派』(中央公論美術出版,1999年)図95解説など。■『日本屏風絵集成 第5巻 人物画−大和絵系人物』(講談社,1979年)図95・96に掲載■大原御幸図屏風については、近々、この成果の詳細を「大原御幸図屏風の源流」(『日本美術講■「大原御幸図屏風」の諸本としては、①東京国立博物館本(長谷川久蔵筆・六曲一隻 桃山時代)、②東京・個人本(長谷川派筆・四曲一双 桃山時代)、③東京・個人本(六曲一隻 桃山時代)、④泉屋博古館本(六曲一双 桃山時代 片隻は光悦の書を添付した屏風)、⑤文化庁本(六曲一隻 桃山時代)、⑥東京富士美術館本(六曲一双 江戸時代)、⑦バーク・コレクション本(伝渡辺了慶筆・六曲一双 江戸時代)、⑧馬の博物館本(六曲一双 江戸時代 片隻は犬追物図)、他にこれらの図様を簡略化した松岡美術館本、板橋区立美術館本などもある。なお「大原御幸図屏風」には「小督図屏風」と対になり一双形式をとるものがあるが(上記⑥⑦など)、元々が一双をなしていたか否か、考究の余地があるため、本報告では大原御幸図のみ対象にした。■注の安達氏、宮島氏、川本氏、安田氏、山根氏、榊原氏などの論考を参照のこと。■安達啓子氏「犬追物図屏風定型の成立と展開」(『日本屏風絵集成第12巻 風俗画−公武風俗』,■安田篤生氏 注■の文献拙稿「伝土佐光茂筆「車争図屏風」の筆者問題について」(国華1198号,1995年)注の文献光吉と山楽との親密な関係は、川本桂子氏が「九条家伝来の車争い図をめぐって」(『日本絵画―403―この変容の問題は、光吉が意図的にも行ったと推定される土佐派伝統図様の流布問題とも合わせ、今後の課題としたい。1980年)、安田篤生氏「土佐派の犬追物図屏風について」(美術史135号,1994年)など。座 第3巻』東京大学出版会)と題し、発表する予定である。安田氏は光吉の翻案部分は観衆を多く描き加えている点を指摘されている。史の研究』ぺりかん社,1998年)において指摘されている。
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