鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
416/535

B王蒙筆「太白山図巻」初探―407―研 究 者:実践女子大学 非常勤講師  福 岡 さち子1.はじめに元末四大家の一人・王蒙(1308?〜1385字は叔明、号は黄鶴山樵・香光居士など。呉興(現浙江省湖州)の人)の画業が彼以降の画壇に与えた影響は非常に大きい。それにも関わらず、王蒙の伝称を持つ作品のなかで真跡或いはそれに近い画だとされる作品は極めて少ない。遼寧省博物館に所蔵される「太白山図巻」〔図1〕は、その中でも比較的信頼に足る作品だと考えられる。また、王蒙はしばしば実際の景を画の舞台に選び山水を描いているが、それらはほとんど元代山水画を特徴づける「書斎画」或いは「隠棲画」と呼ばれるような画で、且つ、必ずしも実景に即して描かれているわけではない。それに対して、本図巻は中国禅宗の「五山」の一つとして名高い天童寺とその周辺の景を描いたもので、「書斎画」「隠棲画」の範疇に属するものではなく、また比較的忠実に実際の景を写し取っている。このように本図巻は作品自体の信頼性の高さから見ても、主題や描写の特異性から見ても王蒙画研究、或いは元末明初の絵画史の研究にとって欠くことができない作品である。しかし、現在に至るまで詳しい考察が行なわれたことはなく、本図巻の所蔵館である遼寧省博物館編の『書画著録・絵画編』(遼寧美術出版社 1998)が、作品に関する基本的資料や簡単な制作背景などを紹介する他は、王蒙画全体に渡る研究の一環として本図巻に触れられる程度に過ぎない(注1)。よって今回は本図巻に関して、その流伝の経緯、及びこの画を贈られた左菴という人物の動向などから導かれる本図巻制作時期などの基本的事項の確認や、本図巻の臨本を巡る問題、実際の景との異同に関する問題、王蒙画中或いは元末から明代にかけての絵画史上での位置付けの考察などを行なっていきたい。2.王蒙「太白山図巻」の成立と流伝についてここではまず本図巻に付された題跋や印章などから、本図巻の成立と流伝の経緯を確認する。洪武19年(1386)の記年のある宗[(1318〜1391)の跋によれば、本図は元代末期に天童寺の住持であった左菴のために描かれたものである。左菴は詔を受け天童寺を下り南京に赴いたが、天童寺のことが心から離れない。そこで当時銭塘(杭州)に滞在していた王蒙が天童寺近辺の景を左菴のために描いたのである(注2)。左菴に関する資料は極めて少ないが、光緒13年(1887)刊行の『天童寺志』によれば、字は原明、号は左菴、諱は元良で、至正18年(1358)に天童寺に住せられた。そして、

元のページ  ../index.html#416

このブックを見る