,江戸時代後期における北信濃の文人趣味―33―研 究 者:長野県信濃美術館 学芸員 伊 藤 羊 子はじめに19世紀初頭の「江戸」の都市文化の隆盛は、近隣、さらには江戸入りが十日もかかる中部地域にも新たな動きをもたらしていた。さまざまな形での人的・物的交流は、単に地方へと江戸文化が伝播していったというような一方的な流れでは捉えきれない。地方の富裕層の教養、財力そして文化的な欲求が、江戸での文化活動そのものをも促し、活性化させていった面も見逃せない。その意味で、江戸時代後期における、江戸と地方との関係は、文化史的にも非常に興味深いテーマである。本研究では、信濃と江戸の間を行き来した「山田松斎」に注目しつつ、信濃の一豪農が都市文化とどのように関わり、それをもとに地方でどのように活動を展開したか、を具体的に検証し、江戸時代後期の文化の特色の一端を掘り起こしたいと考えた。これまでに整理した基礎資料をもとに18世紀後半から19世紀前半にかけての北信濃をフィールドとして、地方文人と中央(江戸・上方)の著名な文人との交流や文化活動の実態を検証した。また、地方における中央文人の遊歴と地方素封家との関係、文芸結社の活動を各素封家の所蔵資料調査等によって探り、江戸時代後期の地方市民社会における文人趣味の実態を探った。方法としては山田松斎関係史資料を手がかりに、柏木如亭、亀田鵬斎ら江戸文人たちの信濃遊歴に関わる資料や、江戸の文人として活躍した雲室上人関連資料の収集及び調査によって信濃文人と都市の中央文人との交流や文化活動を検証した。江戸後期の北信濃という時期と地域を限定することによって、流派別の美術史や分野別の文芸史が見落としてきた相互の関連性や、一地方での全体的な文化状況の把握が容易になるというのも本研究の利点である。そのようななかから地方在村における都市文化の享受層とその構造の解明を試みた。第1章 江戸後期の北信濃における江戸との人的、物的交流の把握1.山田松斎(1769〜1840)山田松斎こと信濃国高井郡東江部村の七代山田庄左衛門は、19世紀初頭、信州有数の豪農として活躍した人物である。先行研究により近世豪農論の視点から松斎の政治的・社会的役割や、儒者としての亀田鵬斎、頼山陽との交流は明らかにされている(注1)。
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