鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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D遼代低火度焼成陶器の研究盤口瓶〔表1―1〕〔図1〕 円硯〔表1―2、3〕〔図2〕■筆洗〔表1―4〕■稜花角盤〔表1―5〜8〕〔図3〕■稜花長盤〔表1―9〜14〕〔図4〕―431―――遼三彩の成立過程――研 究 者:青山学院大学大学院 文学研究科 博士後期  淺 沼 桂 子はじめに遼代(916〜1125年)(注1)低火度焼成陶器とは、具体的には遼の国内で比較的低温で焼成された白釉陶器や緑釉や黄釉、褐釉、三彩(注2)のことである。遼の陶磁は中原にならって生産されたと考えられるが(注3)、遼三彩が北宋の陶磁とどのような影響関係があるのか、まだ具体的には解明されてはいない。華やかな唐三彩が安史の乱(775年)以降衰退してから、11世紀末に遼三彩が成立するまでの間、どのような三彩が焼成されていたかという問題についても充分な理解がされていないのである。近年の発掘調査で遼の領土であった現在の内蒙古自治区、吉林省、黒龍江省、遼寧省、北京市、河北省・山西省北部などで貴重な紀年資料を含む保存状態も良好な陵墓が、数多く発見され資料が増加した。このような遼墓から出土する陶磁器は、遼の国内で焼成された陶磁と五代(907〜960年)・北宋(960〜1127年)の製品とが混在しており、低火度焼成陶器もこの例外ではないと考えられる。両者を分別するには、遼の国内で生産された陶磁器の年代や性質を知ることが必要になるのである。したがって本稿では、遼の国内で出土した三彩に焦点をしぼり、器種、焼成工程などを分析することによって、遼三彩の源流と展開をあきらかにしたい。1.遼の国内出土の三彩遼の国内ではどのような三彩が出土しているのか、器形の特徴を概観することにする〔表1〕(注4)。なお分類をするにあたって年代の不確かな陵墓については、遼域の陵墓の主室平面(注5)が方形から円形、六角、八角墓へと変遷していることに基づいて時期を想定した。その結果、13器種出土していることが判明した。胴部が円柱状(Ⅰ式)のものと、八角柱状(Ⅱ式)のものがある。

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