鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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■輪花円盤〔表1―15〕■円盤〔表1―16〜19〕■盤〔表1―20〜26〕遼上京南山三彩窯址  内蒙古自治区赤峰市缸瓦窯址―432―洗とよばれる盤で、平底のⅠ式と、削り出し高台がつくⅡ式がある。Ⅰ式Aは、平底で体部がほぼ垂直にたちあがる盤〔図5〕で、Ⅰ式Bは平底でなだらかに口縁にむかって開き、口縁部は外反する。Ⅱ式には、口縁部が開いて鍔がつく腰折れ盤(A)〔図6〕、口縁部が外反する深盤(B)、浅盤(C)とがある。皮嚢壺〔表1―27〜29〕〔図7〕合 (隔)〔表1―30〜31〕〔図8〕水注〔表1―32〜31〕〔図9〕_(陶製笛)〔表1―36〜39〕Ⅰ式は球形〔図10〕、Ⅱ式は猫形とする。2.遼域の窯址遼域の窯址は16ヶ所が報告されているが、うち三彩を焼成した窯址は現在までに次に述べる3ヶ所が確認されている。林東鎮から西南1.5kmの遼五京のひとつである遼上京臨|府城内小山の上に位置する。李文信氏の報告書(注6)によると、窯は破壊されており表採による調査のみ行われている。三彩陶器と白釉の低火度釉陶が、焼成された窯址とされる。三彩陶器の素地は淡紅色で、白化粧した後、緑・黄・白釉の三色、もしくは単色の鉛釉、白釉もしくは黄釉の上に緑彩を施したものがある。主に小型の盤などが認められる。窯具は三叉トチン〔図11〕が出土していて、これを盤の内底に置いて重ね焼きを行ったことがわかっている。赤峰市区から西南へ70km、遼中京大定府(現在の内蒙古自治区寧城県)に程近い喀喇沁旗猴頭溝瓦窯村に位置する。洲傑氏の報告(注7)によると、東西約1km、南北0.5kmの範囲に20基〜30基の窯があるという。筆者が現地に赴いた際には、包含層の規模からも大規模に長期間量産していたことが伺えた。窯構造は、煙道が二本ある馬蹄型饅頭窯〔図12〕で、また、烏台図川を挟んだ対岸の山の斜面には15、6mほどの龍窯があることから、遼代〜元代まで続いた遼内でも大規模な窯場である。白地(白化粧をして透明釉もしくは白釉を施し、低火度焼成したもの)無文の杯・碗・盤を主体に焼成していて、黄釉、褐釉、緑釉、三彩の角盤・円盤・稜花形長盤・

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