鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
442/535

■北京龍泉務窯址 ―433―円硯・摩羯壺・小佛塔がみられるという(注8)。稜花長盤や円盤の陶範や素焼きをした円硯〔図13〕が出土していることから、粘土を陶範に押して成形し、素焼きをしていることが確認された。器種によっては白化粧をし、あるものは褐釉、緑釉を、また白釉もしくは透明釉を施している。鉛釉を施したものは三叉トチンを使用して、器を重ねて焼成している。大量の白地の碗・盤には、粗雑な胎土目が内底に四箇所付着していて、焼成方法が三彩とは異なっていたとみられる。北京龍泉務窯址は、北京市の北西部の門頭溝区に位置する。遼南京析津府近郊に発見(注9)、詳細な報告(注10)がされた窯である。永定河西岸に東西約200m、南北約300mの範囲に煙道を2本もつ馬蹄形饅頭窯13基が発見、調査されている。白磁(高火度焼成したもの)を主体に、少量の三彩・褐釉・黒釉・青磁がみられ、碗・盤・瓶・壺・枕・香炉・托等の器種や建築用材などを生産している。報告書によると、北京龍泉務窯の創始から衰退までを遼代早期10世紀第二四半世紀から金代初期13世紀前半として、それを4期に分期している。三彩は、第二期(遼代中期 興宗重煕元年1032年〜道宗清寧2年1056年)に出現し、三彩角盤2片と印花文の陶範(角盤3件〔図14〕、円盤1件)が出土している。粘土を文様が凹刻してある陶範に押して成形し、素焼き後に白化粧せずに直接緑釉、黄・褐釉、透明釉などを施釉している。第一期ではみられなかった三叉トチン(注11)とI字形支針具が出土していることからも、北京龍泉務窯では、この時期に定窯系にみられる化粧土を施さない三彩を焼成する新しい技術の伝播があったと考えられる。その後、第三期(遼道宗咸雍元年=1065〜金太宗天会五年=1125)には三彩の製作技術が成熟して寿昌5年(1099)銘三彩器座や三彩菩薩像が作られている。3.遼三彩の特徴つぎに、これらの資料を分析し遼三彩の特徴をあきらかにしたい。遼の国内の窯では、主に白地・白磁を焼成した窯で三彩を生産しているが、その生産量ははるかに及ばない。実際に遼の国内の窯で焼成したことが確認できる遼三彩の器種は、主に稜花角盤・円盤・稜花長盤などの盤類であり、そのほかに円硯・摩羯壺・小仏塔である。成形方法は、粘土を陶範にはめて文様を押し出す陽刻を特徴とする。金属器を写した盤類は粘土を外型に指で押しつけて成形し素焼きをする。釉薬には、透明釉(白釉)、緑釉(鉛釉)、黄・褐釉(鉄釉)がある。施釉工程は、化粧土を施し(龍泉務窯では施さない)、透明釉をかけ、緑・褐釉を筆で塗り分ける。白化粧の部分に透明釉がか

元のページ  ../index.html#442

このブックを見る