鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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Eヨハネス・イッテンの色彩表現とその統合性について―442―1933)に参加し、予備課程を創設して総合的な芸術教育に貢献した。(墨絵)の講習会を行なったこと、同校で学んだ日本人留学生(山室光子・笹川和子)「色彩」、「点」、「線」、「空間」、「プロポーション(比率)」「コントラスト」等を纏め「日記帳」に芸術に関する思索や覚書を書き留めていた。イッテンの思考過程を探る研 究 者:高知大学 教育学部 助教授  金 子 宜 正はじめにヨハネス・イッテン(Johannes Itten, 1888−1967)は、バウハウス(Bauhaus, 1919−イッテンの芸術探究活動は、主としてジュネーヴ時代、シュトゥットガルト時代、ウィーン時代、ヴァイマール時代、ベルリン時代、クレフェルト時代、チューリッヒ時代と分けられる。特に芸術学校イッテン・シューレ(Itten-Schule, 1926−1934)を創立したベルリン時代は重要である。イッテン・シューレは、デッサウ及びベルリン時代のバウハウスとほぼ同時期に活動し、バウハウス関係者とも交流があった。日本との接点では、イッテンの依頼を受けた南画家・水越松南と竹久夢二が同校で日本画がイッテンの授業内容を日本に伝え、『構成教育大系』に寄与したことを私はこれまでに明らかにしてきた。イッテンは同校より1930年に『ヨハネス・イッテンの日記―造形芸術の対位法への寄与―』(以下『イッテン日記』)を出版した(注1)。『イッテン日記』は、「明暗」、たイッテンの造形芸術書である。同書の序文でイッテンは、「この本を日記とするのは、同書の思想のほとんどが私の日記の中で具体化されたから」と記しており、『イッテン日記』は、イッテンが日頃記していた1930年までの「日記帳」の内容を集大成したものと考えられる。イッテンは、シュトゥットガルト時代から晩年に至るまで、上で、これらの「日記帳」は重要である。本研究では、シュトゥットガルトからチューリッヒに至るまで、イッテンの色彩に対する探究を幾つかのポイントに焦点をあてて辿るとともに、イッテンの「日記帳」、著書及び作品等を通して、イッテンの色彩表現における統合性について考察する。1.シュトゥットガルト時代の色彩研究イッテンの色彩に関する重要な時期は四つある。一つはイッテンが彼の師アドルフ・ヘルツェルに学んだシュトゥットガルト時代と多くの文化人と交流したウィーン時代、すなわちバウハウス以前の時期、二つ目は、イッテンがバウハウスで教鞭を執

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