鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―443―ったヴァイマール時代、三つ目は、イッテン・シューレを創立したベルリン時代、そして、最後は1961年に『色彩の芸術』を発表したチューリッヒ時代である。イッテンがヘルツェルの色彩論から多大な影響を受けたことはよく知られている。この時期の「日記帳」を紐解くことにより、イッテンがヘルツェルから学んだ内容やどのような色彩論を研究していたかの一端を明らかにすることができるだろう。シュトゥットガルト時代に記されたイッテンの「日記帳」には、ゲーテ、ベツォルト、ルード、ショーペンハウアー、ブラウン、カラップ等の色彩に関する記述が見られる。特にベツォルトの色彩論に関する記述は13頁にもわたっている(注2)。イッテンは、1914年11月7日にヘルツェルを訪問したことがこの「日記帳」に記されている。ベツォルトに関する記載は、このヘルツェル訪問についての記載の2頁後から始まっている。当時イッテンが、ヘルツェルからベツォルトについて何らかの示唆を受けた可能性がある。「日記帳」には、1874年に出版されたベツォルトの色彩論(『芸術及び美術工芸に関する色彩論』)、補色の色彩、プリズムの図、寒暖の色彩、12分割の色彩円の図、4分割の円に白・黒・黄・青が配された図、音楽における音の振動数と色彩の振動数、コントラスト論、同時のコントラスト、色彩の組み合わせ等について記載されている。また、シュトゥットガルト時代の「日記帳」(1913/14)には、1.色彩そのものによる色彩そのもののためのコントラスト 2.明暗のコントラスト 3.寒暖(相対的な)コントラスト 4.補色のコントラスト 5.同時的コントラスト 6.量のコントラスト 7.強さのコントラスト、という「七つのコントラスト」が記されている(注3)。その後、1916年の「ヘルツェルとその仲間」展にイッテンが寄せた文章(注4)にヘルツェル教授による「七つのコントラスト」が紹介され、順序は異なるが前述の「日記帳」に記された「七つのコントラスト」と全く同じであった。このことから、イッテンの色彩論における「七つのコントラスト」の源流は、ヘルツェルにあると考えられる。イッテンの色彩論の中核をなしているのは、「七つのコントラスト」、「カラー・スター」、「12色環」であるが、次に「カラー・スター」を探ってみたい。2.イッテンの「カラー・スター」イッテンの色彩に関する彼による文献は、ヴァイマール時代の1921年に発表した『ユートピア』と題する書籍が最初である(注5)。ここには、イッテンの色彩論の中でも有名な「カラー・スター」と呼ばれる色彩球の展開図が示されている〔図1〕。

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