J. de. CAYEUX, Le Paysage en France de1750à1815, Saint-Remy-en-l’Eau, 1997;(exh. cat.)Claudeto Corot. Colnaghi, N.Y., 1990; Le Paysage en Europe du XVe au XVIIIe siècle: Actes du colloqueorganisée du Louvre, Paris, 1990.注個別の画家研究に加え、野外での制作については重要な展覧会として、(exh. cat.)Paysage■北方絵画愛好熱については、JoLynn EDWARDS, Alexandre-Joseph Paillet: Expert et marchand de■フラゴナールと北方絵画の関係については、Louis REAU, “Les Influences Flamandes etHollandaises dans l’oeuvre de Fragonard.” Revue belge d’archéologie et d’histoire de l’art, 1932, no.2■J. -B. DESCAMPS, La vie des peintres flamands, allemands et hollandais, 1753.■Roger DE PILES, Cour de Peinture par Principes, 1708(rpt. 1969).■R.S. SLATKIN, “Abraham Bloemaert and François Boucher: Affinity and Relationship” Master―456―画にとって重要であったのは、庭園趣味が伝えられたことであろう。1774年には、ロンドンのヴォークスホールにならった庭園ウォーホールが開園しているし、パリのモンソー公園の英国式庭園も想起されよう(注14)。また、イタリア滞在、特にローマにおける交流をきっかけに、フランス人画家たちが18世紀イギリスが生んだ特異な画家アレクサンダー・コズンズ(注15)の著作やその思考に接する機会もあったのではないかと考えられる。コズンズは、インクの染みをもとにして風景を構成するという〔図10〕風景画の構成方法を提案した。これは特に、フランスの風景素描の制作方法とは全く異なるありかたである。フランス人画家たちがどのような反応を示したのかは興味深い問題だが、これからの課題である。最後に、二国で大活躍したフィリップ・ジェイムズ・ド・ルーテルブルクの事例をあげる(注16)。この画家はストラスブールの出身であるが、若年にパリに出て、風景画家として成功した。『アルプスのなだれ』〔図11〕のように劇的な場面に彼の真骨頂が見られるであろう。パリでは、すでにふれたドイツ人の銅版画家ウィレのもとで学んでいることも興味深い。1772年にはロンドンに活動の拠点を移し、俳優ギャリックと協力した舞台装飾、そして幻灯の上映で名を馳せることになる。彼はまさに、ヨーロッパ諸国間の交流をまさに体現した画家といえるであろう。以上のように、ヨーロッパ各国からの影響が様々なレベルで18世紀のフランス風景画の形成に寄与していたのである。今後、より精緻な研究によってその全容が明らかにされていくことが望まれる。d’Italie: Les peintres de plein air(1780−1830), Paris, Mantoue, 2001. が挙げられる。tableaux à la fin du XVIIIe siècle, Paris :ARTHENA, 1996. などを参照。Drawings, XIV, 3, 1976, pp. 247−260.
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