鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―464―れるようになった。それらの批評にはいつくかのパターンを見て取れる。以下、代表的な評価を挙げながら、ある種の成熟を見せた「女流」論評が、二度の美術雑誌統制によって打ち切られた点に着目し、議論の俎上に上げられるようになった「女流」問題が、戦後も論議されないまま消滅してしまった問題について論考したい。最も多く見られる論評は、「女性らしさ」への期待や評価である。富田と署名のある、翠紅会への評論は「此展の閨秀画人諸氏は如何にも女性らしく慎ましやかな雰囲気を彩管に含ませながら早くも其第十一回展に及んで居るのです(中略)。数少ない閨秀作家展としての同展のよき発展と、同人諸氏が更に一層アンビシヤスたらん事を期待しつつ擱筆します」(注13)と結ばれている。他方で、「女流」への嫌悪をあらわにした批評も散見される。すでに取り上げた翠紅会にも同様の視線が投げかけられた。浦田三郎が書いた「翠紅会と六旺社」と題する短評は次のように綴られる。「翠紅会といふ展覧会ほど興味のない展覧会は珍しからう。(中略)この会の会員の致命的な欠点は、出品上の謙譲さを失つてゐるといふところである。(中略)ここで考へるのであるが、女の思ひあがつた姿くらい醜悪なものはないといふことだ。六旺社の人達をそうした集団と同じ枠の中に語るのは不本意ではあるが、同じ会場で前後して開かれたものなので、同列に置くを余儀なくされた点を諒とされたい」(注14)。「女性らしさ」への期待は、その枠から逸脱しようとする「女流」への嫌悪と表裏一体をなしていたことが伺えよう(注15)。女性性を積極的に評価する議論のなかには、「女性特有」への期待ともいえる時評も現れた。北川民次は女艸会について次のように評している。女艸会の中には、もつと物を強く、逞く見てゐる人がある。或時は男性的なものすら見せてゐる。斯ういふ人は僕等に向つて、男女の別を頭から取除いて画を見て呉れと叫んでゐる様に思へる。誠に一理ある申分である。併し「性」に無関心になる事は「性」を隠匿して男の真似をする弊にも陥り易いと思ふ。若しそうだつたら私は寧ろ積極的に女性を意識してこれを画面に高調する態度を撰び度い様な気もする。男に依つて作られた女といふものの概念を打破つて、本質的な女の性から描く努力もして欲しいと思へる(注16)。既製の「女性らしさ」を破棄するよう促す北川の議論は、すでに述べたような一連の批評とは趣を異にするものの、結局は「本質的な」女性性に帰着するものとなっている。ところが、これまでの議論とは一線を画する議論が1940年代にさしかかる直前に、見られる。一例としては、「女流」という言葉そのものとそれに付随する評価に対す

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