è(広袖の大衣)、裙(内衣)を着け、結んだ帯紐を足許まで長く垂らす。坐像は結Gが坐し、壇の外側の左右両端にも神像が立つ。長生洞は、奥壁壇上に左側を下に横―473―に五祖洞、三清洞、虚皇洞、長生洞の名でよばれている。最初に、五祖洞では奥壁壇上に横並びに神像5Gが坐し、左右壁にそれぞれ3Gの椅坐神像、外側にも神仙の立像が並ぶ。奥壁の中尊は左掌を胸に当て、右掌を上に向けて右膝上に置く。その左右内側の坐像および左右壁の各像は左手を上にするかたちで両手を胸前に組んでおり、その上部にはおそらく玉製か木製の尺を挿し込んでいたと思われるé穴が穿たれている。残る奥壁壇上左右外側の像は両手を袖中に入れて膝上に下ろす。すべての神像が、跏趺坐し、椅坐像と立像は浮彫で文様を施した沓を履く〔図2〕。以下、神仙洞内の各像の坐勢、着衣などはこの洞のものに準ずる。なお、同石窟の神像は特に記したもの以外は首から上を欠失しており、文革後に新しく造られた頭部がのせられている。三清洞は、奥壁壇上に神像3Gが横並びに坐し、左右に脇侍の神像が立っている。左右壁には神像それぞれ椅坐像2G、立像1Gが配される。虚皇洞は奥壁壇上に神像3臥する神像(あるいは道士の像)が彫り出されている。頭部には高い帽子を被り、その下には枕があらわされている〔図3〕。五祖洞の窟頂には銘文があり、庚戌(1250)の年記が残されている。虚皇洞と三清洞の窟頂には雲龍の浮き彫りがある。下層の2窟は東から真官洞、披雲洞の名でよばれる。真官洞は入口向かって右側手前に、当初のものと思われる冠を被った頭部を残す脇侍の神像が立っている〔図4〕。奥壁には中尊と左脇侍の神像2Gがそれぞれ個別に作られた壇上に坐す。また、恐らく文革時に破壊されたと思われる神像の頭部が2体分、洞の一隅に置かれている。最後に、披雲洞は奥壁壇上に神像1Gが坐し、やはり隅に神像の頭部が2、3置かれている。また、向かって右側手前に神像1Gが立つ(注3)。次に、龍山石窟は現在の山西省太原市近郊に位置し、周辺には天龍山石窟や晋祠などの宗教遺址がある。山上に8窟が穿たれる〔図5〕。内部の造像について以下に概観する。第1窟〜3窟はそれぞれ上下三層に連なり楼閣をなしている。最上層に位置する第1窟では奥壁龕内の須弥坐上に神像が1G結跏趺坐しており、左右壁には雲に乗る神仙の立像が10Gずつ浅く彫り出され、窟頂には大きく雲龍が浮き彫りにされる。神像はいずれもè、裙を着し、帯紐を足許まで長く垂らし、両手を内衣の袖の下に隠す。背後の壁面に浮彫と彩色で光背があらわされる。殆どの像が首から上を欠失するが、左右壁の浮彫数体には、低い冠を被り顎鬚を具えた頭部が残存する。壁に刻文があり、甲午(1234)の年記が残る。また、中層に当たる第2窟では奥壁壇上に3Gの神像が横並びに坐し、左右壁壇上にはそれぞれ須弥坐上に神仙の椅坐像3G、外側に
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