―488―しい。こうして様々な経路から異なるイメージで伝えられた宝冠は西域においてさらに影響し合い変化を生み出していくことになる。〔図17〕はトムシュク出土、〔図18〕はショルチク出土の塑像の宝冠であるが、宝冠に付けられた半円形の帯状装飾を花形の装飾板に置き換えたもので、いわば第1のタイプと第3のタイプを折衷したものといえよう。左右の花形はディアデムに挟み込むことによって半円形の外見を呈し、両者の形状がともに無理なく解釈されている。こうした外来図像の再解釈が、いわば西域美術の本質なのだということができよう。3.連珠文錦と宝冠ここで再び王侯の錦冠について見てみたい。〔図19〕は古代サマルカンドの都市遺跡、アフラシアブの壁画「婚礼図」に見える祝賀使節である。この頭飾は左右側頭部に大振の連珠を半円形に配しており、先にみた天人の宝冠でいえば第3のタイプに近い。しかしながら、よく見ればこれは宝冠ではなく連珠円文錦を頭に巻いたものであり(注6)、これも文献のいう「以錦蒙項」の姿であることが分かる〔図20〕。遺跡の年代は7世紀、まさにサマルカンドが突厥支配に服していた時期で、突厥風錦冠のもうひとつの姿として興味深い。ディアデムこそ巻かないものの連珠円文の配し方は西域風の宝冠を模したものとなっており、ここでも突厥風の錦帽を宝冠に見立てる意図が窺えよう。正倉院宝物の舞楽衣装などを見ても、連珠円文錦が使われる際は袍の襟回りに連珠文を配するなど、何らかの必然性を持って使われており、アフラシアブの錦帽も決して無造作に布取りされたものではあるまい。連珠文錦と宝冠の関わりを示す最も興味深い作例は、法隆寺の獅子狩文錦である。連珠円文を縁取りに用い、中に獅子狩文を配した豪華な錦であるが、文様の一部として漢字が用いられていることから中国で制作されたことが分かる。注目したいのはこの錦の副文として連珠円文の間に配されたパルメット唐草文である。中央に置かれた蓮華文を囲みながら四方へ展開するパルメットの形状は、二本の蔓が内側に巻き込んでハート型を呈し、外側に数枚の葉を開くというものである〔図21〕。ではこの錦を頭飾に仕立てた場合、この副文はどのように機能するであろうか。先に見た雲崗第18洞の菩薩宝冠では円盤の間にパルメット文を配していたが、このパルメット文の形状に注目したい〔図22〕。大小の蔓がそれぞれ内側に巻き込んでハート型を形成し、左右に向かって二枚ずつ葉が開いている。面白いことにこの形状は法隆寺獅子狩文錦の副文と全く同じ意匠なのである。法隆寺獅子狩文錦をアフラシアブ壁画のような形で頭飾にすれば、この宝冠と同じ形状になることが理解されよう。宝冠の円盤装飾の間
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