鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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■亀茲地区の壁画はドイツ探検隊の研究によって2種の様式に分類されている。前者は6世紀、後者は7世紀の制作というが、この年代論では中国河西地区の石窟壁画と年代が合わず、亀茲壁画の編年については現在定説を欠いた状態となっている。Von Le coq, A. und, Waldschmidt, E. Die Buddhissche Spatantike in Mittelasien. Band VII. Berlin 1933.■林良一『シルクロード』(美術出版社、1962年)■実際、V. A. シシュキンはこの頭飾を見誤り「宝冠」と報告している。注第205窟左の銘文は「スワヤムプラバー」という王妃の名のみが解読されており、これが出土文書に見えるトッティカ王の妃と一致することから王名が比定された。第69窟のスバルナプシュパ王は『舊唐書』に見える亀茲王「蘇伐勃駛」に相当し、在位年代は七世紀初頭と知れる。なお出土文書のトッティカ王はスバルナプシュパ王の前に書かれていることからその先代と見る考え方が主流である。H. Luders, Weitere Beitrage zur Geschichte und Geographie Ostturkestans, Sitzungsberichte derAkademie der Wissenschaften, 1930.亀茲石窟研究所『克孜爾石窟内容総禄』(新疆美術撮影出版社、2000年)中川原育子「クチャ地域の供養者像に関する考察―キジルにおける供養者像の展開を中心に」(『名古屋大学文学部研究論集(哲学)』135、1999年) 松田寿男『古代天山の歴史地理的研究』(早大出版部、1970年)■『隋書』によれば蘇尼咥の最後の朝貢は615年で、『舊唐書』にある蘇伐勃駛の祝賀使節は618年―490―V. A. シシュキン「古代文化の宝蔵―アフラシアブ」(ヤクボーフスキー他著・加藤九祚訳『西域の秘宝を求めて』新時代社、1969年)L. I. アリバウム 加藤九祚訳『古代サマルカンドの壁画』(文化出版局、1980年)である。

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