―496―〔図7〕。このことは中型がいわゆる削り中型(土型の表面を一層削り落として造り出下請けに入ったということか、もしくは鋳造技術者が仏師を名乗ったかのいずれかであろう。前者とみるのが穏当かと思われるが、後者のケースも広島県佐木島和霊石地蔵石仏を正安2年(1300)に造った「仏師念心」(刻銘)が、19年後の元応元年に造った同県米山寺宝篋印塔では刻銘で「大工念心」と名乗っている例もあり(注5)、かならずしもあり得ないことではない。鋳工と並んで仏師名が列記される前者二例については、それぞれ彼らの社会的地位が相対的に高いため特に記されたという事情があるのかもしれないが、またそこに原型に対する意識の変化をみてとることも可能かと思われる。2.光勝寺阿弥陀如来像とその木型報告者は最近、大型金銅仏で原型と思われるものが寺院所安の仏像として伝存している例が二例あることに気づいた。一つは福島県弘安寺の銅造十一面観音立像(文永11年=1274、光背刻銘)とその原型と思われる同県観音寺の木造十一面観音立像(弘安寺像の原型という伝承があることは以前より知られていたが、その当否について検討されることはなかった)、もう一つがこの報告で取扱う三重県光勝寺の銅造阿弥陀如来立像〔図3・4〕とその原型と思われる埼玉県長興寺の木造阿弥陀如来立像(注6)〔図5・6〕である。それに加えて後藤道雄『茨城彫刻史研究』(平成14年刊行)に図版が並べて掲載された茨城県中染阿弥陀堂の鉄造阿弥陀如来立像(前述)と同県西光院木造阿弥陀如来立像も、やはり原型とその鋳造品の関係にあるのではないかと一部の研究者の注意を惹き、平成16年に茨城県立歴史館で行われた特別展覧会で両像が並べて展示された。さて光勝寺阿弥陀如来像は像高127.3cm、左手に刀印を結ぶいわゆる善光寺式阿弥陀三尊像の中尊の姿である。その木型とみられる長興寺像は像高133.0cm、両脇侍を伴う善光寺三尊像で、光勝寺像もおそらく元来は二菩薩が随侍していたのであろう。以下に両像それぞれの構造技法について述べる。まず光勝寺像は、頭頂より正面袈裟下縁辺、背面地付に至るまでを銅で一鋳する。中型は頭体部を通してとる。頭部内面は単純な曲面になり、表面の凹凸を反映しないが、体部内面は表面の衣縁および衣文線が凹凸を反転して明瞭かつ正確に浮き出るす中型)であることを示唆する要素として重要である。中型は両肩外側部および左腕の袖後半を含む前膊半ばに及ぶ(右腕も同様と思われるが、中型土が付着して確認できない)。頭頂に矩形の嵌金らしきものがあり、おそらく鉄心を抜いた孔を塞いでい
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