―42― 1811表4 『参宮記行』旅程 文政12年(1828)8月〜10月 表2 亀田鵬斎 信越遊歴資料一覧 西暦 和暦 1809文化6 文化8 月 日 9月16日 9月17日 9月18日 9月19日 9月20日 9月21日 9月22日 9月23日 ※但し、掲載部分は京都滞在中の抜粋。 月 6月 7月8日 8月 5月 7月 8月 8月 仲秋 9月 宛 先 佐久 並木七左衛門 某宅 上田 成沢雲帯 上田 土屋廉夫 上田 柳沢太郎兵衛 長野 須田子稷 畔上聖誕 山田松斎 山田松斎 山岸蘭腸 山岸蘭腸 飯山 保坂甚右衛門 須坂 駒沢清泉 真田町 実相院観音寺 上田 田口家 上田 柳沢太郎兵衛 佐久 並木七左衛門 朝髪月代して茶久(宿泊した京三条大橋東詰 茶屋久右衛門)を出、近江屋新介殿を尋ねるが所わからず困り、松本の穀藤の宿日野屋善兵衛に尋ね室町通六角下とわかる。茶久より荷物取り寄せ、近新に引き移る。中食して御所へ参り、それより三本木頼久太郎(頼山陽)先生へ立ち寄り、寺町通姉小路西入鳩居堂へ訪ねるが留守。 見物案内を取り下加茂・百万遍から三十三間堂まで東山一帯を見物、東作を智績院の忍戒(海)へ遣わす。朝、忍戒師来る。 堀川二条城より北野、大徳寺・今宮・金閣寺・平野の祠に寄り帰る。夕飯過ぎ六角堂縁日でくんじゅすると聞き参詣する。 夜明けより雨。四条烏丸東入時計師戸田東三郎へ立ち寄り手間取り、象牙屋吉兵衛で箸あつらえ、仏光寺参詣、五条橋前で中食、祇園へ参詣、町で手ぬぐいを買い、五条御影堂にて扇をあつらえ、高辻通烏丸にて吸い物(椀)見るがかなわず、宿に帰る。 さかい町姉小路東入上の加賀飛脚へ寄り京出立の日を尋ね、あいの町御池下ひのやへ礼に寄り、寺町姉小路東入鳩居堂へ訪ね亭主と話し長くなる。雨一郎と東作は買い物、東本願寺へ参り帰る。我等は鳩居堂で紙を買い、寺町で中食し、三本木(頼山陽)へ訪ね色々話し書ものを頼んで、寺町で買い物をして宿へ帰る。今日は早々。日野屋源蔵参られ、夜に入り忍戒義天参られる。 朝早く出、壬生寺参り、下り島原を見物、角屋へ寄り座敷見物、東寺へ参り大師の命日で混み合い、諸堂見物、辻かるわざを見る。銭一文ずつ集めるが、あまりにも面白く我等〆一二文くれる。西本願寺、東本願寺の焼け跡普請木拵えの様子など見る。茶わん買い、智積院へ参り牧ノ寮忍戒に会い、御一老惣持院へ参り道本あじやりへ手紙の礼を述べ、穀名考につき色々話があり、約束があって日暮れになって宿に帰る。上人は佐久中込の生まれ。 我等一日宿にいる。東作は京はしやへ、平吉は三本木(頼山陽)へ書き物取りに行くが出来ていない。鳩居堂へ寄りきひしよ・茶たかた・くりかん求め帰る。雨一郎五条へ茶わん買いにいく。鳩居堂主人来て長話する。 扇子・風呂敷が届く。宿にて酒肴馳走、路用を頼む。 早朝より出立仕度、加賀飛脚へ荷物渡す。諸勘定宿へ渡し、近新で五両借用する。合羽出来、土びん蓋替え。 中食して京都を立ち、蹴上茶やで休み追分にて中食、老井茶や休み、大津一里塚前算盤や庄兵衛へ寄る。 内 容 亀田鵬斎書簡 五十嵐竹沙筆・亀田鵬斎賛山水画 五十嵐竹沙筆・亀田鵬斎賛山水画(渥美コレクション) 詩文 「畳翠楼記」 「弗措亭記」 「供吟楼記」 「紅葉小藁」 「琴書楼記」 山田松斎作七絃琴 裏面 鵬斎銘「行雲涼泉 為山太古銘鵬斎興」 「琴記」 山岸蘭腸作七絃琴 裏面 鵬斎の銘「行雲行水 鵬斎興銘為 大江蘭腸」 「大井平瀑布記」 「沢清泉氏所蔵古琴記」 「俊嶺軒」「環翠閣」 「瀟灑亭記」 「清勝亭記」 鵬斎像(還暦を迎える) 記事内容 [ ]内には関係する「金出入」内容を記載 調査確認 調査確認 調査確認 矢場勝幸『書簡による近世後期俳諧の研究』765頁 杉村英治『亀田鵬斎』1981 杉村英治『亀田鵬斎』1981 杉村英治『亀田鵬斎』1981 調査確認 調査確認 調査確認 調査確認 調査確認 杉村英治『亀田鵬斎』1981 杉村英治『亀田鵬斎』1981 杉村英治『亀田鵬斎の世界』1985 調査確認 調査確認 調査確認・世田谷郷土資料館図録 出 典
元のページ ../index.html#51