鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―505―福寺に遺された塑像には確認できない〔表1参照〕。塑像の彩色は塑形後に白土(カオリン)の下地を施し、その上に岩絵の具を膠で溶いて白土下地の上に塗り重ね、極彩色表現である繧繝彩色や金箔表現を施すと考えられている。しかし東大寺法華堂の日光・月光像、秘仏執金剛神像、厨子入り弁財天・吉祥天像には造像の仕上げと描画表現の間に白色下地以外に黒色が存在している。須弥壇上に安置されている日光・月光像には衣文の折りたたまれた深みや曲げた肘の内側など、通常拝観する場所からは見えないところに鮮やかな極彩色が残り、肉身部(肌の部分)は0.3ミリ近い厚みの輝いて見える白色下地(注1)が作られている。驚いたのはこの白色下地層の欠落箇所が黒い色をしていることであった。彩色工程が仕上げ土の上に白色の下地を施す工程であれば白色下地層の剥落した下には仕上げ土の色(青白い色)が見えるはずだが黒色にしか見えない、東京藝術大学では白色下地は仕上げ土の上に直接施されていると教えられてきた。日光像袖には仕上げ土、滲んだ黒色層、白色下地、彩色の緑青と施工手順が窺える箇所がある〔図1−1〕。月光像正面胸から首にかけては剥落した彩色層の下に黒色層が確認できる〔図1−2〕。背面では白色下地層が薄いためか黒色が透けて見えている。また、秘仏執金剛神像も極彩色が剥落した箇所を胸甲に沢山見ることができるが仕上げ土が黒色に見える。厨子入り弁財天・吉祥天像にも黒色が認められるが黴の黒変した黒なのか黒色下地なのか判然としない。黒色の面積が広範囲に及んでいることを考えると黴と断定するのは難しい。東大寺の塑像彩色面最下層に見られる黒色はなぜ仕上げ土表面に存在するのか。土壁や漆喰壁に黴が生じる湿潤な日本では塑像仕上げ土表面に黴が発生、千年を超える時間が白色下地層との間に全面に繁殖、均一に黒変させたのか。黒色は何か。じつは月光像背面右脇衣文のところには幅1寸ほどの平筆を用いて黒色を塗った痕跡が明瞭に残っている〔図1−3〕。平筆で塗れて仕上げ土に染み込む黒色素材は墨と考えるのが素直である。正倉院文書の中、丈六観世音菩薩像立の材料を記した部分に「掃墨一斗」の記事がある。彩色下地(白色)の下層、すなわち、彫塑工程と描画工程の間に黒色施工工程を入れることはそれまでの描画技法よりも極彩色の発色や施工時間効率によい結果がなければならないはずである〔図1−4〕。3.請来された造像技術塑造技術の源流は中央アジアのストウッコ技法(注2)まで遡る。中央アジアの良質な石材がない地域では仏像を造るのに獣毛や植物繊維(獣糞の可能性)を混ぜた細土を用いて成形、仕上げ層は石灰岩を焼いて消石灰にしたものを用いて滑らかで白く

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