―506―輝く描画基底として仕上げていた。白いストウッコで造られた塑像も彩色仕上げが本来の姿である。中国の敦煌、麦積山、炳霊寺など良質の石材がない地域や岩山の質が脆い場所では地域の実情に合わせて素材を改良、造像技術が発達したと考えられている。古代の彫刻技法に詳しい佛教造形研究所の本間紀男博士は著書「天平彫刻の技法」技法であるテンペラ技法と原理を共通することにもふれられている。奈良時代の造像技術は7世紀から8世紀にかけて中国隋・唐代に遣隋使・遣唐使によって最新の造像技術が請来されたと考えられているが請来時期の違いで彩色技法が異なる可能性もある。中央アジアや中国大陸中央部のように温暖の差が激しく、雨の降ることがほとんどない乾燥地域で発達した塑造技術はそのまま日本の湿潤な気候環境に適したのだろうか。4.炳霊寺の彩色塑像〔図2〕敦煌・麦積山・炳霊寺に遺された彩塑、塑像の彩色下地は黄土(褐色)の仕上げ土に直接白の下地が施されており、黒色を見ることはなかった。1980年、敦煌に二週間滞在して塑像の調査を行ったが心木構成や塑土構造を確認することで終わっている。2001年は麦積山・炳霊寺の塑造技法調査を行った。2002年には泊り込みで二度目の炳霊寺涅槃釈迦像修復指導を行った〔図2−1〕。現地で修復を担当していた李氏の修復技術を見たが身近にある黄河の堆積層から土を採り、水で麻くずを混ぜて練りこんだだけの塑土〔図2−2〕で釈迦像の欠損箇所を補っていた。仕上げ土にヘラを何回も当て輝くように造っていた。黄土は微粒の均質な土で水分を含むとすぐに泥状になり流れ出すが乾燥すると硬く脆い性質を持っている。彼らは黄河(炳霊寺は黄河に流れ込む支流の側にある)の流れ込みの溜りから適当な分量を運んで使っていた。修復指導や綿密な彩色下地の調査を行った炳霊寺の涅槃釈迦像(北魏・頭部などに唐代の修復が入っている箇所もあるが体部は制作当初の造形が良く残り、彩色顔料も鮮明であった)の仕上げ土は黄土が乾いた褐色の土であり、その上に白色の下地が直接施されていた。白色下地層の上には極彩色の痕跡や金箔が残っていた〔図2−3〕。文化財保存技術の研究で日本にも留学され、蘭州博物館研究員で元麦積山の修復研究所員だった張先生に麦積山・炳霊寺・敦煌・天梯山の塑像彩色下地の施工工程や施しゃんふん技法(注3)が中のなかで敦煌に遺された盛唐期の塑像彩色に用いられている相粉央アジアのストウッコ技法に共通することを1979年の敦煌での現地調査で得られた技術者からの聞き書きを基に記されている。加えて、相粉技法がルネッサンス期の彩色
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