―507―工技術について尋ねたが今まで修復に係わった多くの塑像や彩色壁画の彩色下地には白色の下地以外は見たことがないと答えられた〔図2−4〕。Ⅱ.実証試験1.手板〔図3〕彩色下地試験基底に用いた壁面手板(71cm×36cm×4cm)〔図3−1〕はヒノキで額縁を作り、竹を棕櫚縄で巻いて木舞いを組み付け、荒土には唐招提寺金堂壁に用いられていた荒土に藁îを鋤きこんで一年前寝かせた土(青緑色)。中土は法隆寺梵天山に産する山土に籾殻を混ぜ、一年寝かせた土(黄色)。仕上げ土は椎坂(正倉院文書に記される塑造用土の搬出地)から採取した雲母交じりの細砂(亜変形雲母岩堆積層)に楮の繊維を混ぜ、三年寝かせた土(青色)を使って作った。立体手板(16cm×8cm×5mm)〔図3−2〕には楮繊維を混ぜた仕上げ土だけを用い、天人レリーフを型抜き仕上げで五枚作った。東大寺の塑像群は、金属・着衣・なめし皮・紐・皮膚など質感表現が他の塑像に比べて特に優れていると評価されている。この、質感表現の違いはヘラ使いと筆使い、手のひら、指先の使い方を組み合わせて表現するが試験基底に用いた壁面手板の仕上げは金属のヘラのみで乾燥速度に合わせて圧力をかけ十分にしごいて、仕上げ土に含まれた楮の繊維や雲母が均一な状態で乾燥するよう配慮して仕上げた。手仕事で作る仕上げ土の雲母や植物繊維は機械仕事のように全てが均一に混ざるわけではない。天人レリーフ手板は型抜きなので仕上げ土を押し付けた状態で仕上がっている。2.彩色下地工程試験〔図4〕東大寺に遺された塑像に認められる黒色はドーサ引き(注4)と同じ効果を狙った工程ではないかと仮定して今回の手板実験は行っている。ドーサは一般的には「礬砂」と表記されるが「土砂」あるいは「陶砂」の文字で古くは表記された。日本画の大先輩に伺うと明礬を加えるようになったのは明治期以後でそれまでは明礬の使用はな基底の目止めに黄土を用いたことは興味深い。平筆(1寸)を用いて塗布実験を行った。彩色工程で白色下地、繧繝彩色に用いる膠の染み込みや定着を均一にするために行ったであろうと推測して試みた。木ベラ・竹ベラや筆を用いた仕事、指先や手のひらを使って土を押し付けただけの造形など塑形技術の違いによって彩色下地を塗布する膠の染み込みに違いが起こるからである。雲おうどく、昔の画塾では紙の上に黄土引きの訓練が最初の手ほどきだったそうである。描画はいずみ黒色の素材を奈良時代には一般的な材料として用いられていた墨(掃墨)と仮定し、
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