鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―49―ができなくなってしまった。更に1899年に開始された日本の基隆港築港計画によって、淡水は北台湾の最大港から一地方に戻るが、「山明水秀」の上、台湾初のゴルフ場と沙崙海水浴場という二大娯楽施設を有している。また、「紅毛城」や「領事官邸」といったいわゆる「洋楼建築」は台湾の西洋風建物として最も早く出現し、洋行、教会、学校などの建物にも使われ、淡水の町に数多く見られる。それが名島貢《中秋淡水風景》〔図12〕のように、台湾人の家屋と相俟って淡水独自の景観をなしたのである―「最上部に洋楼建築、真ん中以下はp式瓦房(赤い瓦造りの福建式家屋)、そして人口に膾炙する淡水の白楼がはっきりと見える」(注27)。「白楼」(馬偕博士故居)が、領事官邸とよく似た「紅楼」(達観楼)や台湾家屋の赤一色から目立っているので、画家たちにとりわけ好まれていた。陳澄波にも共に《淡水風景》〔図13〕と《淡水》〔図14〕があり、前者は見上げるように白楼を画面中央やや上方に描いているのに対して、後者は逆に少し見下ろすように白楼を画面中央やや右に描き、その後ろに紅楼が見える。陳澄波における「淡水シリーズ」の制作は、とりわけ1935年と36年の二年間に集中し、この二年の台展にも《淡江風景》〔図15〕と《曲径》〔図16〕が出品され、二作品の画面左側には淡水のもう一つの名物、淡水教会の高い塔が見える。同じく淡水を取材した《岡(現、淡水中学)》〔図17〕も第十回台展出品され、遠景にある「淡中校舎」、とりわけその中央の「八角塔」は中国式と西洋式の長所を取り入れた建築であり、当校の精神的象徴である。淡水を描くのに、陳澄波は1936年のインタビューにこうコメントしている。淡水風景は、時代を経過した古淡味たつぷりな建築物が多い、又此処の風景は、雨後或は曇天の翌日、空気の濕ぽくなつてゐる日を選ぶべきで、潤ふてゐる屋根や壁色樹木青緑等で淡水風景が一層よく見える。(注28)恐らくこの談話が《雨後淡水》の命名の由来であろう。同談話は「場所柄の時代的精神とか、その地点の特徴等を研究し、よく吟味した後、それに備ふ可き好條件があつて、然かも製作上有利な物であればこそ始めて、作品に取りかゝる」と続くが、「地点の特徴」とは、例えば談話中に取り上げられた《岡(現、淡水中学)》の「淡中校舎」、または《淡江風景》と《曲径》の淡水教堂の高い塔、《淡水風景》と《淡水》の白楼や紅楼など、つまりその地を識別できる「目印」のことであろう。これは陳澄波風景における一つの重要な特徴と言えよう。ところが、《雨後淡水》にはこのような目印は見られない。それでも、この絵の舞

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