鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―59―と関係があった南蘋派の画家といえば、森蘭斎が知られるが、宋紫石との接点についても今後調査をすすめるべきだろう。松平乗完(1752〜1793)は宋紫石『古今画叢後八種四体譜』に序文を寄せ、俳諧でも血縁・婚姻でも南蘋派作画大名ネットワークにつながる人物である。松平乗完の「紅蓮」(岡崎市、松明院)〔図4〕に対して、分家筋である奥殿藩松平家の松平乗尹(1777〜1818)が描いた対となる「白蓮」〔図5〕も南蘋派の影響をうかがわせる画風で注目される。柳沢信鴻を中心とするネットワークからは離れるが、注目したい大名画人として大岡忠愛(1807〜1857)がいる。母は増山正寧の姉で増山雪斎の孫にあたる。三河西大平藩主。「花卉小獣図」(三河武士のやかた家康館)は天保元年(1830)の作。全体に地塗りを施した南蘋風の作品である。「立葵図」(三河武士のやかた家康館)も増山雪斎・雪園の画風と近い。「薔薇に鷹図」(三河武士のやかた家康館)〔図6〕も地塗りがあるが、宋紫石にも近い雰囲気を持つ。南蘋派の作画としては時期的に遅いが、祖父、叔父との関連で南蘋派風の絵画に親しんだ可能性がある。森蘭斎森蘭斎(1740〜1801)については、大きなコレクションの所蔵者と都合が合わず、部分的な調査に留まった。「兎に牡丹図」(個人蔵)は『うさぎワンダーランド』展図録(石川県立歴史博物館、1999)に紹介されるもので、岩、牡丹、蝶の配置は熊斐「牡丹に蝶図」、岩井江雲「牡丹蝶図」(神戸市立博物館)に酷似している。「雪中白鷺図」(世田谷区立郷土資料館寄託)〔図7〕は『蘭斎画譜後編』鳥部所載の「白鷺眠雪図」〔図8〕とよく似た構図の作品。その他「双鹿図」(世田谷区立郷土資料館寄託)を調査した。天明3年(1783)の「鹿図」(金沢市小坂神社)は年代のわかる貴重な作品であるが、所蔵者によるともともと小坂神社の為に描かれたものではなく、これをもって金沢とのつながりを考えた過去の誤りを訂正したい(注2)。宋紫石『古今画藪後八種』『古今画藪後八種四体譜』諸本の異同について(中間報告)『古今画藪後八種』八巻八冊(後八種)と『古今画藪後八種四体譜』五巻五冊(四体譜)は、後八種が明和8年(1771)刊(注3)、四体譜が安永8年(1779)刊で、もともとは別の本である。しかし後に一括して売りに出されるようになったらしく、その際の題箋が後八種を「古今画藪 後編」と記し四体譜を「古今画藪」と記すこともあって蔵書目録などからは様子がわかりにくい。『国書総目録』でも区別をしてお

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