鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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/田村宗立関連資料の整理と紹介―68―研 究 者:京都文化博物館 学芸員  長 舟 洋 司はじめに画家・田村宗立[弘化3年(1846)〜大正7年(1818)]は、京都の近代洋画草創期の画家である。近代美術の研究者には、京都最初の洋画家あるいは開拓者としてその名前が知られているが、宗立の初期の経歴には、後に述べるように、資料による裏付けの曖昧な物語めいた要素が多く、また現存する油彩作品が少ないこともあって、一種謎めいた画家像がつきまとっている。本稿では、初めに、遺族のもとから新たに見出された資料の概要を紹介し、次に、既知の資料を初出にさかのぼって校合するとともに、新紹介資料をあわせて、画家像に肉付けを試みたい。田村宗立遺族宅資料の概要田村宗立には実子がなく、今回紹介する資料類は田村家を継いだ養子嗣(故人)によって守られてきた。現在はその未亡人が保管している。資料は多岐にわたる。油彩画、水彩画をはじめ、若年時の仏画、晩年に多く手がけた軽妙な墨画などの作品に加えて、画帳やスケッチブック、京都博覧会の賞状や委員任命書、京都府画学校の教員任免書などの他に、宗立絵付けの陶器類、観音像、宗立自作と伝える顕微鏡など珍奇なものも含まれる。田村宗立の作品については、早く大橋乗保氏の論文があり(注1)、遺族宅の油彩作品および一部スケッチブックもここで紹介されている。今回の調査でも油彩画については、新たな作品は見出しえなかった。一部資料については流出が認められる(注2)。現在確認できる遺品の中には、宗立が西洋画を習得し画業を展開する過程を検証するにあたって、参考になると思われる新資料が豊富に含まれており、本稿ではそれらを中心に紹介する〔表1〕。個々の資料の内容については、次章で、宗立に関する論述の基礎となってきた既知の資料と照合して履歴を述べる中で、必要に応じて触れることとし、ここでは、紹介資料を概観するにとどめたい。時代順に見てゆくと、宗立が六角堂に起居していた幕末の画僧時代の資料〔資料1〜3、58〜62〕が含まれる。このうちの六角堂関連資料〔資料59〜61〕については、幕末から明治初年の混乱する寺社をめぐる記録として貴重であると思われるが、宗立

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