0サン・ミリャン・デ・ラ・コゴーリャ修道院スクリプトリウム研究―77―――11世紀スペイン写本の転換――研 究 者:早稲田大学大学院 文学研究科 博士後期課程 久 米 順 子11世紀後半、北スペインのキリスト教諸王国では、いわゆるイスパニア典礼(注1)からローマ典礼への移行が断行された。ともにカトリックとはいえ、両者には、ミサで朗読されるテキストから聖人の祝日にいたるまでさまざまな相違点がある(注2)。さらに従来イベリア半島で用いられてきた西ゴート書体(注3)が廃止され、フランス起源のカロリング書体が採用されたことによって、改革の波は写本制作全体に及ぶこととなった。各修道院や教会が、新しい典礼のために新しい書体で記された新しい書物を必要としたためである。こうした状況を反映して、11世紀の北スペイン装飾写本には、イベリア半島独自の様式であるいわゆるモサラベ様式の挿絵と(注4)、フランスから導入されたロマネスク様式のそれとの混在というきわめて興味深い現象がみられる。しかし日本国内はもとよりスペインにおいてさえ、この現象は未だ十分に研究されていない(注5)。そこで本稿では北スペインのサン・ミリャン・デ・ラ・コゴーリャ修道院伝来の装飾写本を対象とし、「テキストの内容」「書体」「図像」「挿絵様式」という四つの視点を交錯させながら11世紀の転換期の分析を試みる。コゴーリャ修道院を取り上げるのは、そのスクリプトリウム(写本制作所)が10世紀以降13世紀まで活発な活動を続けたことが知られ(注6)、かつ、その蔵書が19世紀にほとんど一括してマドリードの王立歴史アカデミーに移されたことから現存数が多いためである(注7)。具体的な分析の前に、前述の四つのキーワードの中で最も問題となるであろう「様式」について、本稿における定義を明確にしておきたい。スペイン写本挿絵の専門家マントレによれば、モサラベ絵画の特徴は、二次元性、キュビスムを想起させるような多視点、幾何学的構図、図式的形態、鮮明かつ対比的な色彩の使用などである(注8)。一方で、シャピロはロマネスク様式の一般的特徴として、生き生きとしたポーズ、大きく広がった衣襞の縁、より複雑な線描表現を挙げている(注9)。さらに、引き伸ばされた人体プロポーション、中間色の使用の増加、立体感の表現を付け加えることができよう。またイニシャル装飾においてはモティーフの絡み合いが複雑さを増し、空白にはすかさずアカンサスが繁殖するようになる。
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