鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―78―こうした観点から注目すべきなのが11世紀末に制作された《ミサ典書》(注10)のイニシャルである。左手に竜の尾を持ち直立する人間の傍らで、竜が人間の左肩を噛み、体を屈めて大文字Pの弧をなしている〔図1〕。10世紀のコゴーリャ写本《カッシオドルスの詩篇註解》(注11)のイニシャル〔図2〕と比較すると、《ミサ典書》では衣襞の線描が複雑で、竜の体にも白を加えた同系色の絵具で陰影が施され、より自然主義的であるといえる。人体と竜の間を埋める植物モティーフもロマネスク的である。しかし竜の図像や、獣が別の動物ないし人体を噛むというイニシャル装飾の組み合わせは、10世紀の写本挿絵に繰り返し現れるものである。このように、ある挿絵の「図像」と「様式」、つまり内容とその表現方法は、常に揃ってモサラベ絵画かロマネスク絵画かに分類できるとは限らない。テキストについても同様で、書物の「内容」とそれが記されている「書体」は、時に齟齬をきたすことがある。《ミサ典書》がその好例で、この書物はローマ典礼用ミサ典書であるにもかかわらず、カロリング書体ではなく、伝統的な西ゴート書体で綴られている。この写本が制作される10年以上前の1080年、すでにブルゴス公会議において正式に西ゴート書体が廃止されカロリング書体が採択されていることから(注12)、ここでの西ゴート書体の選択は意図的なものであった可能性を考えなくてはならないだろう。ここでコゴーリャでの典礼・書体の移行に関わる歴史的経緯を簡単に振り返っておきたい。コゴーリャはナバラ王国とカスティーリャ王国の狭間に位置していた。1074年、両国の国王(サンチョ四世とアルフォンソ六世)はともに教皇グレゴリウス七世から典礼の移行を要請する手紙を受け取った(注13)。特にアルフォンソ六世は、ローマ典礼の推進者であるクリュニー会へ莫大な寄進を行い、彼らを助言者として取立て、改革を進めていった(注14)。とりわけ1077年以降、コゴーリャ修道院がアルフォンソ六世の支配下に入った後には、同修道院におけるクリュニー会の影響が増したと考えられる。そして前述の通り1080年にはブルゴス公会議が開催され、イベリア半島全土におけるイスパニア典礼の放棄が公式に決定されることとなる。1073年にコゴーリャ修道院長ペトルスが制作したイスパニア典礼用読誦集《リベル・コミクス》(注15)は、こうした典礼改革に対する修道士たちの反応を考察する上できわめて重要な写本である。通常のリベル・コミクスにはほとんど装飾が施され

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