鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―79―ないのに対して、このコゴーリャの《リベル・コミクス》は豊富なイニシャルや欄外挿絵で飾られており、くっきりとした丁寧な西ゴート書体の筆跡は、この写本が入念に制作されたことを語っている。しかもこの写本の巻末には、イスパニア典礼の確立に貢献した聖イシドルスの言葉を引用しつつ、典礼改革を断固拒否し、伝統を擁護するテキストが添えられている(注16)。ローマ典礼の普及に努めた教皇グレゴリウスの意図がどうあれ、由緒あるコゴーリャ修道院の修道士たちにとって、代々引き継がれてきたイスパニア典礼の放棄は受け容れ難いことであった(注17)。つまり1073年という典礼改革の兆しが見え始めた時期、コゴーリャではかえってイスパニア伝統回帰の気運が高まったと考えられるのである。先の《ミサ典書》における西ゴート書体の使用も、この伝統回帰の一例として捉えることができよう。《リベル・コミクス》の挿絵もこの写本の保守的性格をよく示している。その例として、まず「オビエドの十字架」の挿絵が挙げられる。この図像は、8−9世紀のアストゥリアス王が作らせた貴金属製十字架に端を発し、スペイン中世写本の巻頭挿絵としてテキストの種類を問わず広く用いられた(注18)。《リベル・コミクス》の「オビエドの十字架」(f. 3v)〔図3〕は、明らかに10世紀末のコゴーリャ修道院作《コーデックス・エミリアネンシス》(注19)(f. 16v)〔図4〕の写しである。十字架の下部に子羊、十字架を囲む馬蹄形アーチの上部両側に二天使を配するこの種の「オビエドの十字架」は、現存例30点近くの中でもこの二写本にしか見出すことができない。また「アブラハムの犠牲」(f. 93)〔図5〕では、雲の間から出現する神の手、刀を片手に空を仰ぎ見るアブラハム、祭壇の上に横たえられるイサクというこの主題を構成する三つの基本的図像要素に加えて、イサクの代わりに屠られることになる子羊が木の茂みの中に隠れていたことをあらわすべく、羊が一本の樹木に重ねて描かれている。同様の例がカスティーリャ地方のバレラニカ修道院で制作された《960年レオン聖書》(注20)(f. 21v)〔図6〕に見出される。この他にも《リベル・コミクス》と《960年レオン聖書》には、百年以上の時を隔てているとは思えないほど酷似した挿絵やイニシャル装飾が見られ、両者は遡れば共通のモデルに基づいていると考えられる。つまり《リベル・コミクス》の挿絵師は10世紀のモデルにきわめて忠実に仕事を行ったのである。典礼改革とは異なり、美術の面では、イベリア半島へのロマネスク様式の流入はも

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