鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―80―っと早くから始まっていた。現存最古のロマネスク様式のスペイン写本挿絵は、1047年の《フェルナンド一世のベアトゥス写本》(注21)、次いで1054年のナヘラのサンタ・マリア修道院寄進状(注22)とされるが、言うまでもなくこれらにはフランスの写本からの明白な影響が見られる(注23)。コゴーリャ修道院の蔵書にも11世紀初頭にフランスのリモージュ近辺で制作された《秘蹟書》(注24)が含まれている。この写本そのものがコゴーリャに到着したのはより時代を下ってからとみられるが(注25)、11世紀半ばを過ぎた頃からモデル用写本や写字生・挿絵師がピレネーを越えていたことは間違いないだろう。実際、現存するコゴーリャ由来の写本の中にも11世紀と見られるロマネスク様式の挿絵が存在する。しかし注目すべきことに、それらはカロリング書体で新しく作られた写本にではなく、10−11世紀に西ゴート書体で書かれたものの、装飾が未完のまま放置されていた古い写本に描き足されているのである。《詩篇》の竜を倒す大天使ミカエルや騎士の戦い(注26)、《聖人伝》の天使(注27)、モサラベ典礼用《讃美歌集》の聖人など(注28)のイニシャル装飾や、ベアトゥス写本《コゴーリャ本》の約半数の挿絵(注29)などがその例である。1073年、修道院長ペトルスが、百年以上前のモデルを恐らくは故意に用いて伝統復古主義的な《リベル・コミクス》を制作し、モサラベ様式の最後の花を咲かせていたのとほぼ同じころ、同じスクリプトリウムでは別の挿絵師が、あたかもモサラベ様式に対する勝利宣言であるかのごとく、10世紀に制作された写本の空白を新しいロマネスク様式の挿絵で埋め尽くしていたのである。1090年代に制作された前述の《ミサ典書》が西ゴート書体を用いていることから、コゴーリャ修道院では11世紀末になってもまだ一部の修道士が伝統保守を主張していたと思われる。しかし8世紀末にアルクィヌスによって整備されて句読点や連字などが工夫されたカロリング書体は、実際には西ゴート書体よりも読み書きの能率がよく、誤読の可能性も少ない(注30)。より使いやすい書体が流通するのは時間の問題であった。典礼においても、《ミサ典書》の典礼暦が示すように、イベリア半島土着の聖人の祝日が徐々にローマ典礼の中に組み込まれていった(注31)。そして12世紀初頭になって、ようやくコゴーリャ由来写本の中では現存最古の、カロリング書体によるローマ典礼用ロマネスク装飾写本《ミサ交唱集》(注32)〔図7〕が制作される。この写本の登場をもって、同修道院における転換期の終了とみなすことができよう。

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