鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―87―る(注6)。ゴーギャン自身によるこの作品についての言及は残されていないものの、ポン=タヴァン近郊の村のニゾンにあるトレマロ礼拝堂のキリスト像を建築装飾の動物モチーフとともにスケッチしており〔図3〕、このキリストのイメージの直接の源泉となったのであろう(注7)。前景に描かれた、ほかの主要な人物、ブルターニュの民族衣装をまとった3人の女とキリストとの関係は明瞭ではないが、いくつかの可能性が考えられる。まず本作品が聖書上のエピソードをブルターニュの風俗を用いて描いたものと仮定し、3人の女性がキリストの磔刑と関わりのある聖書上の人物だと考えると、それらは3人のマリアであろう。また、背景に小さく描かれた幾人かの人物は、処刑の後帰路に着く人々であると考えられよう。または、実在のキリスト像をモチーフにしていることから、キリストの彫像を囲んだブルターニュの人々と風景を描いているとも捉えられよう。後に《緑のキリスト》〔1889年、ベルギー王立美術館蔵、図4〕で十字架から下ろされたキリストと3人のマリアを表した石造彫刻を描いたように、現実空間の中の彫像としてキリストを表しているとも考えられうるが、実際にはキリスト像は教会の身廊にあるので、別々のモチーフを組み合わせた構成と考えるべきでもあろう。しかし《黄色いキリスト》も《緑のキリスト》も今述べたように空間を一元的に解釈するだけではおさまらない、複雑さを秘めているようである。ここでふたつに先行する同じくブルターニュ滞在期の代表作《説教の後の幻影》〔1888年、スコットランド国立美術館蔵、図5〕について触れておきたい。《説教の後の幻影》の構成において特徴的なのは、画面を横切る木の幹の区切りによってふたつの異なる次元の空間が並立することである。左側は祈るブルターニュの人々、右側は人々の見る幻影であり、ふたつの空間に共通して赤色の地が背景となり、異なる次元を結びつけている(注8)。《黄色いキリスト》においてもこのように異なる空間が表されていると推測すると、腰を下ろした女性たちが瞑想をしている前景と、その瞑想のうちに現れた十字架上のキリスト、現実と幻視のふたつの空間が表わされていると推察することができよう。3人の女性がほぼ半円形に配されているところは《説教の後の幻影》と共通であるが、奥の女性は十字架のほぼ後ろに回りこんでおり、平面上で空間が明瞭に二分割されている《説教の後の幻影》よりも複雑な構成となっている。また《緑のキリスト》では、石彫の物質感が《黄色いキリスト》の木彫よりもはっきりと表されているが、ゴーギャンには彫刻作品や陶芸作品を人物を思わせるように描き、その境界を極めてあいまいにする特徴がある。《黄色いキリストのある自画

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