鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―88―像》〔1889〜1890年、オルセー美術館蔵、図6〕では、《黄色いキリスト》、《自画像をかたどったたばこ壷》〔1889年、オルセー美術館蔵、図7〕がそれぞれ自画像として重ねあわされている。《黄色いキリスト》が、《説教の後の幻影》のように現実の場面と幻視のなかの聖書の一場面を同一の画面のなかに描いていると考えると、異なる空間の境界をあえて明確にせず曖昧にしており、《緑のキリスト》ではその曖昧さがさらにすすめられていると考えられよう。2 キリストを囲む人々ゴーギャンが《黄色いキリスト》を制作したのは、1889年の9月から10月にかけて、彼の3度目のブルターニュ滞在のときであり、ポン=タヴァンに滞在していた時期で、10月にル・プリュデュに移動するときまでと思われる。ブルターニュ地方の伝統的な祭礼であるパルドン祭は、十字架や旗などを掲げ伝統的な衣装を身にまとった人々が行列をなし歌いながら歩み、教会で一年の許しを神に乞うものであり、ブルターニュの各地で現在も行われているものであるが、トレマロの礼拝堂のパルドン祭は9月8日に行われ、ゴーギャンがこの祭礼をポン=タヴァン滞在中に目にした可能性は大きい。礼拝堂の身廊にかけられた17世紀につくられた素朴な木彫のキリスト像とともに、この地方の人々の信仰心の深さをゴーギャンに深く印象づけるものであったろう。また木彫のキリスト像にかかったニスが黄変して黄色く見えたのであろうことが指摘されているが、この作品中のキリストは黄色を基調とした風景のなかに現われ、全体の色調のかなめとなっている(注9)。パルドン祭の光景はブルターニュを主題とした絵画のなかによく登場するが、ゴーギャンと同様ポン=タヴァン派の中心的人物であったエミール・ベルナールの《野原のブルターニュ女》〔1888年、個人蔵、図8〕はポン=タヴァンのパルドン祭をモチーフとしており、ゴーギャンが《説教の後の幻影》を描く契機となった作品として知られている(注10)。ベルナールの作品は、アカデミスムの画家のダニャン・ブヴレの《ブルターニュのパルドン祭》〔1886年、メトロポリタン美術館蔵、図9〕や、ポン=タヴァン派の画家ではポール・セルジエ《ノートル・ダム・デ・ポルトのパルドン祭》〔1894−5年頃、カンペール美術館蔵、図10〕の描いたような祭りのさなかや教会に向かう場面を描いているのではなく、祭礼の合間の休息の場を描いたと思われる同じくブヴレの《パルドン祭のブルターニュ女》〔1887年、カルスト・グルベンキアン美術館蔵、図11〕などに近いと思われ、どちらでも画中のブルターニュの女性たち

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