鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―89―は多くが地面に腰を下ろしている。地面に腰を下ろしたブルターニュ女性は《説教の後の幻影》の後方にも登場するが、同一の姿勢の人物ふたりが《黄色いキリスト》においては前面に描かれている。後姿を見せるもうひとりの女性も加え、祈りを捧げる画中の人物は極めて静かな印象を与えている。画面の最上部にキリストが位置していることや、画中の人物たちの静かな哀悼ぶりからは、アントネッロ・ダ・メッシーナのキリスト磔刑図〔図12〕が連想される。アントネッロの作品も聖母が腰をおろし、手を前に組んで静かに悲しみにうちひしがれている。十字架が非常に高いため、キリストは画面最上部に位置し、画中下部に低く位置する聖母マリアたちとの間には、《黄色いキリスト》中でのキリストとブルターニュ女性との間と同様に、奇妙な距離感が生じている。また右下では寄進者と思われる人物が祈りを捧げているが、《黄色いキリスト》の右下の人物と同じく、左横顔を見せている。また詳細に描きこまれた背景と帰還する兵士たちも、ゴーギャンの遠景に後姿を見せて登場する小さな人物像という構図との共通点を感じさせる。しかし、アントネッロは仰ぎ見る寄進者を木の足もとの聖母よりやや斜め前方に置くことによって、右の人物がキリストの磔刑と悲しむ聖母の姿を見ているという構図を合理的に成立させているが、《黄色いキリスト》では先に触れたように、画中の人物たちとキリストもしくはキリスト像との関係が明確ではないという相違点がある。ところでゴーギャンは、手紙や著述の中にチマブエやジョットなどルネサンス以前の画家たちの名をしばしばあげているが、それは反アカデミスムや反古典主義や前衛主義の立場を標榜するための戦略から述べられたものであり、プリミティヴィスムへの取り組みを目指すことによるものでもあった(注11)。《黄色いキリスト》についてとアントネッロに関するゴーギャン自身の記述はないのだが、その関心の範疇にあったと推測することができる。また、ゴーギャンはフランドルの美術への関心を強く持っており、1889年10月のエミール・シュフネッケルに宛てた手紙でフランドルに行く計画を語っている(注12)。この計画は実現されなかったが、アントウェルペンの大聖堂にあるルーベンスの《十字架降下の祭壇画》のうち《聖母マリアの聖エリザベツ訪問》〔図13、14〕の左翼下部に小さく描きこまれた人物は、《黄色いキリスト》の背景で塀を乗り越え去ってゆく人物や《緑のキリスト》の背景中央の鍬を背負った人物とのつながりを思わせ、この時期のゴーギャンが北方美術に寄せる関心の高まりをうかがい知ることができる。

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