鹿島美術研究 年報第22号別冊(2005)
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―90―3 始原の探求19世紀においてプリミティフと美術を結びつける概念は装飾であり、装飾はアカデミスムの美術の規範からはみだす新しい美的価値を指す語として、前衛主義者たちが肯定的に用いるようになった。象徴主義の批評家がゴーギャンのことを装飾的であると語るときは、比喩としてエジプト人、ギリシャ人、プリミティフのイタリアの画家や北方ルネサンスの画家たちの美術が持ち出される。そして装飾が建築と結びつくこと、壁画のように記念碑的なスケールを持つことが重要であり、その場合装飾はラファエロ以前のイタリアのフレスコ画の伝統につながるものとして称揚されるのである(注13)。《説教の後の幻影》をニゾンの教会に寄贈しようとゴーギャンや仲間の画家たちが働きかけ、拒絶されたというエピソードが知られているが、建築を装飾する壁画という機能がゴーギャンたちに意識されたことからも、この作品は装飾という価値と結託しうるものであるといえ、プリミティヴィスム的姿勢を看取することができる。また浮世絵の構図やモチーフが適用されていることも、西洋美術の規範に対抗する価値を探る試みであった。《黄色いキリスト》は教会のなかに設置された彫像が主要モチーフであることからも、建築空間に対する挑戦がひそんでいると考えられよう。彫像は、色調において画面全体を支配し、ブルターニュの衣装を身につけた女性たちが存在する現実の空間と思念の世界両方に働きかけている。女性たちが座して祈りをささげるなかに、十字架上のキリストの像が置かれた光景なのか、十字架が女性たちの幻視であるのか、キリストを囲む3人のマリアとして女性たちが描かれているのか、実在と宗教的な幻視の空間との境目が曖昧なまま残されている。そのために観者にとってはキリストの存在が現実空間を超えたものであると感じられ、この作品はモニュメンタルな支配力を持ち、プリミティヴィスムの試みが結実したものとなったのである。ブルターニュにおいては、ケルトの過去の民俗が温存され、人々は中世的な敬虔な信仰心を保って生活していると目されていた。ブルターニュの民俗を描くことは、過去を探ることともなり、始原を探ろうとするプリミティヴィスム的関心と結びつく。またキリスト像の黄色く変色したニスは、時間の経過と過去を想起させる役割を果たしているとも類推でき、過去へつながるものとしてブルターニュの民俗衣装を描いたことと同様のことと目される。ここで黄色いキリストは時間を遡及する要素ともなっているのである。さらにゴーギャンはブルターニュと、イタリアや北方のプリミティフ美術を結びつけることで、自身のプリミティヴィスムをさらに強固なものとしていったのではないだろうか。

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