鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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5.調進に関わった絵師による資料―96―「大宋御屏風」は左の2扇のみひらかれる。軟錦縁は一隻全体を囲み各扇に押絵が貼大宋屏風の図様を直接つたえる絵画資料は18世紀までくだる。宝暦13年(1763)大宋屏風調進に携わった吉田元陳がそのほぼ同時期に描いた(注26)「調度図」(宮内庁書陵部蔵)〔図5〕と、安永3年(1774)土佐光貞による粉本「大宋御屏風画」(京都市立芸術大学芸術資料館蔵)〔図6〕である。「調度図」には調度の名称と着彩の図が整然と羅列される。図は小ぶりだが精緻で、られているようである。図様は騎馬民族風ともみえる馬上の中国人物で、弓矢や棒状の道具を携える。対して「大宋御屏風画」は墨画一部淡彩。奥書によると、内侍所修復のため神器が遷され行事官が大宋屏風一双を調進するので、伝奏衆の内意をうけ古図を参考に初めて認めたという(注27)。唐風と騎馬民族風、両者混在したようにみえる中国人物が、馬上に弓矢を携え動きのある多彩なポーズで19人描かれる。画面上方12ヶ所に△印が付され六曲一双分12人の図様を示す扣らしいが、△印のひとつは曖昧な位置にある。元禄元年(1688)成立の『楽家録』では、内侍所御神楽についての文中に大宋屏風を描写する。唐人が馬に乗り弓をひいて飛ぶ鳥を射る図で淡彩の押絵であるという(注28)。「調進図」「大宋御屏風画」に飛ぶ鳥の描写は見出せないが、後者には空を仰ぎ見る人物や、弓をひき空高く狙いを定める人物がおり、鳥を狩る場景と理解し得る。前者にみえる棒状の道具も、狩猟図において小動物を突く様子が描かれる狩猟具に似る。17−18世紀の大宋屏風は、騎馬民族風を含む中国人物が各扇1人ずつ配される狩猟図であったと知れる。6.補説――粉本における打毬図と狩猟図の互換性大宋屏風の図様の変遷を画中画や資料に追ってきたが、特定の民族を設定しているのか、簡単に厩図や狩猟図などと混同することがあるものか、しばしば疑問が生じる。そこで補説として、江戸時代に黒田藩御用絵師をつとめた狩野派絵師の粉本、尾形家絵画資料(福岡県立美術館蔵・福岡県指定文化財)に見出された例を紹介する。共通する図の多い3巻の粉本(注29)に、打毬杖をもつ計7人の人物が4図にわかれて含まれており、それぞれ良く似たポーズを宋代の絵画「明皇撃毬図」〔図7〕(注30)に見ることができる。この図の舶載について明らかではないが、寛政2年(1790)杉山元春が作成した「大宋屏風下絵」(宮内庁書陵部蔵)〔図8〕には、図様の一部がほぼ原本どおりに写し取られている(注31)。一方、尾形家絵画資料〔図9〕の当該

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