鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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 鈴木敬三『田中家所蔵住吉模本年中行事絵巻解説』古典藝術刊行会、1959年。小松茂美「平安朝貴族の年中行事図鑑」コンパクト版『日本の絵巻8 年中行事絵巻』中央公論社、1994年。■(注20)に同じ■池田伸子「埼玉県立博物館所蔵年中行事絵巻について」『埼玉県立博物館紀要』30、2005年■百橋明穂「総説聖徳太子絵伝」『真宗重宝聚英』第7巻、同朋舎出版、1989年。山田信彦『聖徳太子展』図録列品解説、東京都美術館ほか、2001年。その他、称名寺本、本誓寺本、光照寺本の当該箇所には無地か文様らしき屏風がある。本證寺本と極めて類似するボストン美術館本では、簡略な立木図の屏風がある。■13世紀「高野山水屏風」(文化庁)がこの形式をつたえる。『室町時代の屏風絵』図録、東京国立博物館、1989年「後桜町天皇御即位御治定被仰出記」(宮内庁書陵部)に調進絵師として元陳の名が見える。「調度図」巻末に「法橋元陳筆」とあり、野口剛「絵師の僧位叙任をめぐる断章」『朱雀』第13集、京都府京都文化博物館、2001年によると、元陳が法橋であったのは宝暦7年から安永6年まで。「安永三午年九月今度内侍所御修復ニ付御遷宮後従禁中被進大宋御屏風一双仕立例之通リ行事官調進押画十二枚古図ヲ以被相頼初テ認左伝奏衆ヨリ内意ニ而被相頼候趣也/△印之分十二枚認也/左近将監光貞」。『後水尾院年中行事』『嘉永年中行事』『公事録』によると、十二月の煤払いでは神器を内侍所より常御殿へ遷し大宋屏風二隻で囲んだ御座に安置する。同様に内侍所から遷した神器の御座を囲むための調進か。「大宋屏風表裏共白張、有薄彩色押絵、其画唐人乗馬、彎弓而射翔鳥之図也」正宗敦夫『楽家『尾形家絵画資料』福岡県立美術館、1986年、図版1287・1290・1296。1296には享保19年(1734)の年記がある。前掲『中国古代のスポーツ』所収同図添書と『平田職厚日記』(宮内庁書陵部)より、寛政2年8月に大宋屏風復古調進の参考サンフランシスコ・アジア美術館本、フリーア美術館本、越前松平家旧蔵本、堺市博物館寄託本、出光美術館本、旧黒田家本、など。近世に盛行したこの画題と大宋屏風の画題変遷との関連性は、屏風調進画派の問題とともに鋭意考察中である。寛政前後の調進事情を出納平田家の諸資料(宮内庁書陵部)より垣間見る限りでは、調度という性質上、部分的な修復や迅速な供給が求められるなど、必ずしも十分な吟味を重ねる余裕があったわけではないように推察される。―99―付記 快く調査に応じてくださいました各位に謝意を表します。安城市歴史博物館、京都市立芸術大学芸術資料館、宮内庁書陵部、乾坤院、埼玉県立歴史と民俗の博物館、東京国立博物館、名古屋市博物館、福岡県立美術館、本證寺(敬称略・五十音順)考証』(故実叢書所収、内藤広前校訂本)「別録御屏風之巻」の大宋屏風項では、年中行事絵巻賭弓場面の当該屏風を詳述。宮内庁書陵部蔵『平田職厚日記』によると寛政2年大宋屏風調進の絵師が同絵巻を参照している。松平定信『古画類聚』(東京国立博物館蔵)「器財二三」巻は同絵巻賭弓場面の御座と屏風を抄出するが屏風の名は記されない。録』日本古典全集刊行会、1935年、15頁資料として写された経緯が知れる。

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