―105―することができる〔図4〕。この像は一般供養人の姿をあらわした最初の像である。本像の銘文には「作弥勒石像一区高三丈菩薩二区」という文句が見える。このことから、北岩の巨大立像が本尊としての弥勒像であることが推定できる。本像の制作時期については凡そ7世紀前半と見ている。2)金堤出土の金銅版半跏思惟仏三尊像〔図5〕全北金堤郡聖徳面大木里から如来三尊像、半跏思惟仏三尊像、化仏2点など、あわせて4点の金銅版浮彫像が出土された(注4)。そのうち、半跏思惟仏三尊像の大きさは6.5×6.4センチであり、中央の半跏思惟像を中心に左右側には羅漢像がある。左の僧形像は左手で柄香炉をもって腰をまげた姿で半跏像に向かっている(注5)。右の僧形像は微笑む表情で右腕をあげて頭においている。その出土地から見ると百済仏である可能性が高い。3)蓮花寺戊寅銘四面仏碑像〔図6〕忠南燕岐郡から出土された戊寅銘四面仏碑像は現在、蓮花寺に所蔵されている。この像の前後面には五尊と三尊が浮き彫りされており、両側面には上中下に区画して上から如来坐像、銘文、卍字文の欄干が浮き彫りされている。そのうち、三尊像は本尊が半跏思惟像であり、左右には柄香炉をもっている菩薩が本尊を向いて跪いている。この像の銘文は「戊寅年七月七日其家△△状△△△△△△一切衆生敬造阿弥陀弥△」である。このことから、造像時期は戊寅銘、すなわち678年であることがわかる。ここで、「阿弥陀弥△」の文句は阿弥陀、弥勒を造像したと推定される。したがって、裳懸座の如来坐像を中心に菩薩立像と羅漢像が脇侍した五尊像は阿弥陀像であり、半跏思惟像は弥勒像であると推定することができる。4)燕岐郡出土の半跏思惟石像〔図7〕この半跏思惟石像は忠南燕岐郡にある碑岩寺出土であり、銘文はない。四面に浮き彫りされている。前面には半跏思惟像があり、その下には丸い置香炉を中心に左右側に供養者が跪いている。左側には僧侶である供養者が柄香炉と香盒をもっている。右側の供養者は未敷蓮華をもっている。背面には大きな宝塔があり、両側面には宝珠をもっている菩薩立像が側面観で表現されている。この菩薩像の下には跪いて合掌する供養者像があり、やはり側面観として菩薩と同じ方向へ向いている。本像の制作時期は出土地が同じである戊寅銘四面仏碑像と差がないと考えられる。したがって、7世
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