―108―『涅槃経』、『賢愚経』のように「香炉を手に執って誓願する」という句節があるほどこのように香炉、焚香と弥勒信仰との密接な関係があったことをうかがえることができる。しかし、一般の置香炉ではなく、なぜ柄香炉であるかという疑問が想起される。柄香炉とは柄の付いた形式であるため、置香炉と同様にどこかにおいてから使用することが可能であるが、香炉を手に執って使用することが主な目的である。したがって、行香を目的にして制作されたと言えよう。行香とは『大宋僧史略』巻中によると「或用然香薫手或将香爿遍行謂之行香」といい、香器をもって焚香することと香を分ける儀礼ことの両方を指称する。そのため、柄香炉の使用は一つの香炉の前で大勢の人が礼拝するのではなく、個人的に各自が香炉を直接にもって焚香礼拝する形を示すのであり、その使用はより積極的であることがわかる(注13)。このような柄香炉の使用は多くの経典でも見ることができる。その例として『大方便仏報恩経』巻第4には「爾時善友太子。…手捉香炉。頭面頂礼摩尼宝珠。立誓願言。…」といい、『大般涅槃経』巻第12には「頂生大王。…右執香炉右膝著地而発誓言。…」という。また、『賢愚経』巻第8には「大施菩薩。…手執香炉。四方求願。…」がある。柄香炉は手に香炉を執って誓いを立てる、願いを述べるという「誓・願」の目的で使用される事例が極めて多いのである(注14)。したがって、使用目的が「誓・願」である柄香炉の使用ということは、特に個人的に積極的な香の使用を意味しており、これはそれほど個人の祈願および誓願がつよいものであると亦示唆することであると言えよう。このような個人的、積極的な香の供養が弥勒信仰とどのように関連するだろうか。前述したように柄香炉の使用目的は「誓・願」にある。経典中に誓願の内容は多く、柄香炉の使用を勧奨している。にもかかわらず、弥勒信仰と関連がある弥勒経典には柄香炉の文句は見当たらない。しかし、『仏説観弥勒菩薩上生兜率天経』には「以衆名香妙花供養行(注15)」があり、『仏説弥勒下生経』には「亦當供養承事諸法師名花奨香種種供養(注16)」という。このことから、両者とも香供養を勧めていることがうかがえる。特に『仏説観弥勒菩薩上生兜率天経』には「未得道者各発誓願。我等天人八部。今於仏前発誠実誓願。於未来世値遇弥勒。捨此身巳皆得上生兜率陀天世尊記曰。(注17)」という。これはまだ道を得ることができない者は皆それぞれの誓願を出して未来世には弥勒に遇して兜率天に往生することを祈願していることを示す。このように誓願を発する場面を経典から直接に見ることができる。また、兜率天に往生しようとする者は一念で兜率天を観照し、すべての戒律を守って7日または1日だけでも十善行を考えながら行なわなければならないという。このように弥勒信仰は誓願
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