鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―116―「アメリカに渡った現代日本絵画」が挙げられる(注8)。植村はここで、「日米ウィ時のスタッフが克明に記憶していたものと思われる(注7)。上述以外に、この件に関して言及している国内の文献・記事としては、植村鷹千代クリィの記事によると、ニューヨークのトリビユン社文芸センターで、日本の現代作家の戦後作品展がはじめて開かれ、藤田、田邊、福澤、猪熊、中山、荻須、岡田、里見、脇田ら十五氏の作品が展示された」と述べている。この『日米ウィクリィ』の記事は未だ確認できていないが、ニューヨークで発行されていた在米日系人のための新聞『北米新報』には、「日本画の展覧会」として、「元進駐軍附Jコーマン(ママ)大尉によって蒐集、米国へ持ち帰った戦後に於ける日本知名画家十五名の原作品展覧会が目下西四十二丁目百のツリビユウン・サブウェー書店で公開されてゐる」という記事が掲載されている(注9)。以上の情報は、日本国内で確認できたものであるが、さらに踏み込んで、同展覧会の内容、画廊の実態、そして同展覧会における福沢作品の反響について、情報を集める必要があった。以下、ニューヨークでの調査に基づく成果を報告する。2ニューヨークの「地下鉄画廊」と「戦後日本の15人の美術家」展ニューヨークの「地下鉄画廊」すなわちThe Tribune Subway Gallery は、画廊誌『Tribune of Art』の記述から、マンハッタン島の中央部、42丁目通りと6番街が交差する地点の、地下鉄駅構内にあったと推測できる。この地下鉄駅構内には文房具店、理髪店、宝石店などの小さな商店が建ち並び、その一角のThe Tribune InternationalBook and Art Center という書店の奥が、その場所である(注10)。ブライアント・パーク北西角の向かいの位置と推定され、現在の42nd Street-Bryant Park駅にあたる。改札から各ホームに向かうコンコースは広く、現在は利用されていないが、商店等があったと思われる部分もある〔図9〕。この画廊の経営者フリードリヒ・ジョージ・アレクサンFriedrich Georg Alexan は、地下鉄の駅を利用する人々が気軽に立ち寄り、手ごろな値段で美術品や複製画を購入できる店を目指していたようである。1945年12月15日のNew York World-Telegramの記事により確認できる最初の展示には、ドイツの画家ケーテ・コルヴィッツの版画、ウィーン生まれの彫刻家イルマ・ロススタインの彫刻、ピカソやセザンヌ、ゴッホ、マティスの複製画などが出品されている。その後も若手画家のグループ展や、戦地からの帰還兵による作品展を行うなど、時機を心得た企画を試みている。この画廊で、昭和22年(1947)5月3日から6月31日まで、「戦後日本の15人の美

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