―117―術家」The Fifteen Artists in Postwar Japan (以後「15人展」と記す)という展覧会が開催されている。この展覧会の開催にあわせて発行された画廊誌『Tribune of Art』第9号〔図10〕には、これはジェームス・V.・コールマンJames V. Coleman なる人物のコレクションを紹介するものであることが記され、併せて彼自身の言葉も掲載されている(注11)。なお、先述の福沢家に存在したと思われるニューヨークでの展覧会のパンフレットと思しき印刷物が、この画廊誌の一部であったことが確認された。同誌に掲載された出品作家の姓(原文のまま)と、そこから類推される作家名は次のとおりである。を考慮に加えた。当時の日本美術界の中堅作家が名を連ねているが、藤田を除けば、当然のことながら、日本以外ではほとんど知名度のない作家といっていい。予備役大尉で、もともとラジオ放送局の技術者であった。太平洋南方で戦線に参加したのち、昭和21年(1946)から翌年まで、日本のラジオ放送網再構築のためにGHQにて勤務した。その間に彼は、都内の美術館や画廊に通い、日本の新しい美術に触れ感銘を受けた。そして数人の美術家と会う機会を持ち、更に興味を強くし、同時代の日本絵画の蒐集を始めたという。また、同展覧会の出品作は、すでにアーニー・パイル・シアター(東京宝塚劇場の接収中の名称)で既に展覧したものであることも記されている(注12)。「15人展」以後、コールマンという所蔵家、あるいはここに出品されたと思われる作品の行方は、未だ確認できていない。今回の調査では、全米の美術館の所蔵品データベースからも、美術品のオークション・レコードからも、上述の作品の手がかりを得ることはできなかった。今後、さまざまなアプローチによって、所蔵家と作品に迫FUJITA 藤田嗣治FUKUZAWA 福沢一郎INOKUMA 猪熊弦一郎ISHIKOWA 石川滋彦(寅治?)KAWABATA 川端実NAKAMURA 中村研一NAKAYAMO 中山巍YAMOMOTO山本正(?)作家名の類推にあたっては、上述の雑誌記事を参考とするほか、1930年代から40年代にかけて日動画廊で個展もしくはグループ展を開くなど、当画廊との繋がりの深さ『Tribune of Art』に掲載されたコールマン自身の文章によれば、彼は米国海兵隊のOGUIS 荻須高徳OKADO 岡田謙三OYAMA 小山敬三(?)SATOMI 里見勝蔵ITARU TANABE 田辺至MINORU TANABE 田辺穣WAKITA 脇田和
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