鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―118―るための調査を継続したい。3福沢作品の反響とその解釈先述の『Tribune of Art』には、Ray de Monte なる人物による「15人展」の紹介記事が掲載されているが、その中で福沢の作品は、藤田と田辺至の「伝統と新傾向の統合」というひとつの傾向の対極にある例として取り上げられ、「変革のなかにある社会や、戦争とその後の混沌とした状況、人間性恢復への努力の影響を見て取ることができる」ものであり、「顔の特徴、人種、国籍を排除した男女は、不正義に対して叫ぶのみならず、人としての尊厳のために奮闘している」と解釈されている。そして、「後期印象派、特にロダンに負うところが大きいことは明白である。しかしながら、色彩の用法をとおして(日本)独特の伝統が現れ」ており、それは「全く独自の経験」、すなわち「『広島の原爆』を伝えようという試みにおいて際だって明白である」と述べられている。さらに、「作品の構成は仏教思想に基づく地獄絵図を想起させるが、嘆き、死、そして破壊を伝えるのは、他の明色に対するように背景色として使われる鮮やかな黄色であり、西洋の美術家達には想像もできない」と、その色彩の独自性を強調されている(注13)。『Art News』1947年6月号の記事中で、執筆者は「欧化された若い日本人画家」の作品に「伝統的な版画や絵巻(の特徴)との共存によって強調された印象」を読み取っている。なお同誌には、今回の調査で唯一確認できた、福沢一郎の出品作の図版が掲載されている。この図版には、「FINAL PHASE(最終局面)」というキャプションが付されている(注14)〔図11〕。『Art Digest』の同月号にも、「15人展」に言及した記事がある。ここでも、執筆者の展示作品への注目は色彩に向けられており、「ほとんどの作家が、西欧的な造形、描線、そして画面構成の概念を採用している。しかし、より感情的・直感的要素である色彩は、不思議に東洋的である」と述べている。そして、福沢作品については「同展覧会の頂点」と評され、「Hiroshima」の名が付されている。「今期、米国の美術家が多くの『原爆』についての解釈をみせたが、日本の美術家がそれについて強力な衝撃をもって描き出す余地が残されていたのだ」という言及からは、「Hiroshima」を描いたというその一事から作品の評価が始められているさまが窺える。また先述の記事と同様、「色彩は、“地獄”の仏教的象徴性、すなわち“嘆きと破壊”と調和しているが、西洋人がその思想を受け取ることができるほどに表現に富むものである」と、エキゾティックなものに対する興味からその独自性を指摘しているように思われる(注

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