―3―1742年版『失楽園』の挿絵作者イ宛の献辞が続く。その後に挿絵入りテキスト、ミルトンの伝記、アッディソンの解題、ロッリの解説が続く。紙葉はおおむね三連三日月の透かしにラテン十字とKのイニシャルをあしらったカウンターマークの入ったものが使用されている(注9)。印刷は、巻頭版画のプレートマークを潰すようにテキストが印刷されていることから、版画を印刷した後からテキストが印刷されたことがわかる。マルチェリアーナ図書館所蔵版の装丁は典型的18世紀イギリス式モロッコ革タイトバック装となっている。この第十巻の巻頭挿絵および巻末挿絵にジャンバッティスタ・ティエポロは原図を提供している。うち巻末挿絵《犬を抱く羊飼い娘》(128×124mm, platesize)は、1737年にやはりトゥメルマーニ書店から既に出版されていたバッティスタ・グアリーニ『忠実な羊飼い』第二幕二場の巻末に挿入された挿絵《子犬と戯れるドリンダ》がそのまま再利用されているため、実質的に第十巻の内容とは関連を持たない(注10)。巻頭挿絵については、スッチによれば、ズッキの卓越した銅版画技術のおかげでティエポロ自身の素描のオリジナリティーを辿ることが難しいとされる(注11)。しかしこの挿絵を他の作家やズッキ自身の構図や版画と比べたとき、本図が極めて特異な雰囲気と図像を有し、また内容において『失楽園』の中でも最も重要な場面をティエポロが描いているという事実は決して軽視できない。やはり1730年代後半から1740年代前半のティエポロの様式的特徴を如実に示している一方で、「死」をテーマにした同時期の一連の版画作品《カプリッチョ》と思想的および図像的に極めて密接な関係を持っていることは否定しがたい事実である(注12)。各巻頭および巻末挿絵版画の作者は、既に述べたピアツェッタ、バレストラ以外に、ヴェネツィアのジョヴァンニ・バッティスタ・クロザート(1686−1758)、ヴェローナ出身でバレストラの弟子マッテオ・ブリダ(1699−1774)、やはりヴェローナ出身でバレストラの弟子ジャンベッティーノ・チニャローリ(1706−1770)、ヴェネツィアのサント・ピアッティ(1687−1747)、そしてローマのアントニオ・ビッリ(XVIII sec.)とボローニャのヴィットリーオ・マリア・ビガーリ(1692−1776)、さらにはフランス人シャトー(おそらくニコラ・シャトー、c.1680−c.1750)とピカール(おそらくベルナール・ピカール、1673−1733)の名が認められる。これらフランス人作家の原図および銅版画は、巻頭ではなく、直接本文との関連の薄い巻末挿絵に用いられている。中でも、シャトーのサインのあるものにはズッキのサインはなく、また明らかにビュラン技法が異なることからシャトー自身による原版を用いたと考えられるが、版の潰
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