鹿島美術研究 年報第23号別冊(2006)
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―120―であった様子は窺えない。在ニューヨークの日系人画家らによる戦後初のグループ展は、昭和22年(1947)年5月末から6月初頭にかけてリバーサイド美術館にて開催されているが(注18)、同時期に開催されていた「15人展」とこの展覧会が何らかの関連を持って紹介されることもなかった。今回の文献調査で発見できた米国における日本「現代」美術紹介の記事としては、『Life』の「Japan Goes Abstract」が最も早いものであった(注19)。19世紀の西欧美術に大きな影響を与えた浮世絵版画を生み出した日本で、戦後は西欧美術の影響を受けた抽象芸術、特にマティスとピカソの影響が強いさまを皮肉を込めて伝えているこの記事では、阿部展也、猪熊弦一郎、笠置季夫、川端実らが写真入りで取り上げられている。むろん、彼らのうち3人の作品が5年前にニューヨークで発表されたことは述べられていない。ひとまず、「15人展」をこの種の最も早い事例の一つとして挙げておくこととするが、米国における1940年代から50年代の日本「現代」美術紹介については、更に調査が必要と考える。おわりに今回の調査で、終戦直後の福沢一郎作品が、実際にニューヨークの画廊で展示されたことが裏付けられ、また現地での報道における福沢作品の受け止められ方も知ることが出来た。さらに、「15人展」が、終戦直後の米国内にける日本美術紹介の事例としては、現代美術を最も早く紹介した貴重なものであったことが確認された。1940年代後半に米国にもたらされた同時代の日本美術については、他にも未確認の情報が存在する。植村鷹千代は、先に紹介した記事の中で、山口長男、阿部展也、福沢一郎、村井正誠、岡本太郎、中原実らの近作「約三十点がアメリカへもってゆかれた」と記しており(注20)〔図13〕、昭和23年(1948)以降も所謂「アヴァンギャルド絵画」が米国へと持ち出された事例があったことを示している。これらの作家による昭和20年から23年の作例は非常に貴重であり、またこれらの作品についても、福沢作品と同様、追跡調査を行う意義があると考える。同時に、こうした作品に関する米国内での反響を追うなかで、1950年代以降盛んになる日米の美術交流を再検討することもまた重要であろう。終戦後60年を経過し、当時の出来事について得られる情報が非常に限られてきていることは疑いない。しかしまた一方で、世代の交替とともに思わぬ処から貴重な資料が発見されるなど、この時代の文化・芸術に関する調査・研究にはまだ多くの余地が

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